何を作るか

- IT技術者のためのイノベーション・デザイン -



前書き


本書の想定読者

本書は、主に、ITの勉強をしている若者に向けたものです。 さらに、IT開発の前線で仕事に追われている方で、現状に違和感を持たれている方々に、向けたものです。

謝辞

本書の内容は、とあるIT技術専門学校で、半期コースとして過去に6回実施したものに基づいています。 その内容は、最初は、著者の経験と、公に入手できる参考情報に基づき、構成しました。 が、より重要なことには、学生さんの反応によって、説明を補充したり改変したりし、改善を重ねました。 そのため、類似のビジネス啓蒙書にはない内容になったと思います。 ここに、授業で反応していただいた学生さんに感謝します。

ここでご紹介する様々なテクニックや思想を、より広い方々に生かして欲しいと思います。

以下に、受講生の感想を、一部、要約して掲載します。

本書の構成

若いIT技術者向けに、WHATを詰めるということに役立つトピックを選びました。

日本の教育は、伝統的に、HOWである読み書きそろばんを偏重しています。 現代のIT教育も、その延長で、プログラミングという手段の教育が中心です。 HOWの教育は必須です。 しかし、それだけであると、WHATを考える力が養われません。 WHATを考えるということは、なんのために、なにを、なぜ、といった思考です。

日本人は、既存のものを工夫して改善するのが得意だが、 無から何かを生み出すのは苦手、といわれます。 これは、HOWは得意だがWHATは苦手ということです。

本書は、WHATを定義する手法を見ていきます。 日本の教育を補います。

筆者は、プログラマーをやったあと、ソフトウェアの仕様を定義する仕事に長く携わりました。 頭では、プログラムで書けることならまあできるという実装のイメージ感覚を持っています。 しかし、「何を」に集中してきました。 「いかに」の前に、「何を」を考えることが大事だからです。 そこで仕込んだテクニック群から、以下のような、重要と思うものを選んでいます。

章立ては、以下の通りです。

  1. 第2章で、イノベーションとは何かを、明らかにします。
  2. 第3章で、デザインプロセスを概観します。
  3. 第4章で、課題の調査分析のテクニックをご紹介します。
  4. 第5章で、解決のデザインのテクニックを見ていきます。
  5. 第6章で、価値のデザインのテクニックを見ます。
  6. 第7章で、本書のまとめと、IT青年に期待することを書きます。

本書の内容を使って授業を行うときは、演習中心に回します。 本書では、その演習の部分は含みません。 本書は、それら演習で実際に試すプロセスやテクニックに関し、 前提となる考え方や手順を説明したものです。

第7章で述べますが、日本は、1990年頃から、ディジタル革命に乗り遅れ、今や「失われた30年」といわれています。 筆者は、それに先立つ時期から、外資系企業に在籍しました。 そこでは、ディジタル革命の中でモノづくりする雰囲気を、空気のように感じて仕事をしてきました。 そして、その後に日本のITに触れると、昔に戻るような感覚を味わいました。 本書は、その危機感が背景になっています。

目次


第1章. 始めに


1.1 本書の目的

自分探し?

あなたは、ITの勉強を始めて間もない方だとします。 自分は何をしたいのか、自分探しをしていると思います。 そして、これから社会に出て仕事を始めるときに、制約を受け始めます。

図: 自分探し

社会の制約の中でやりたいことを追求するか、両者の妥協点を見つけるか? いずれにせよ、流されないように自分をしっかり持つことが大事です。

顧客のニーズ?

あなたは、すでにITの前線で、仕事に追われている方だとします。 上司やお客様と話しをします。 これこれのシステムを作ってくれと、言われます。 そういうとき、お客様の要望は実は課題を解決しないことが、しばしばあります。 また、後になって、これはこうだったという、仕様の変更や手戻りが、よくあります。

図: 顧客の本当の課題

お客様の満足を得るには、お客様が言う表面上の言葉にとらわれてはだめなのです。 お客様が口では表現しない、本当の課題と解決策まで、探らなければなりません。

目的と手段

ここで本書の大前提である、目的と手段の違いを説明します。 セオドア・レビットという人が、次の言葉を残しました。 「ドリルを買いにきた人が欲しいのは、ドリルではなく『穴』である」と。

図:ドリルと穴

ドリルは手段であり、穴をあけることが目的です。 課題解決という目的達成のための解決手段はいろいろありえます。 また、手段は、技術状況などによって変わります。 人は、ドリルにお金を払うのではなく、実は穴をあけることにお金を払います。 つまり、価値は、手段(HOW)ではなく、目的あるいは効果(WHAT)にあります。

秀才とリーダーの違い?

秀才とリーダーは、どう違うでしょうか?

秀才は、地図を上手にたどれる人です。 また、答えがあるときにそれを上手に見つけられる人のことです。

図: 秀才

手段を偏重する日本の教科書教育のため、日本に秀才はたくさんいます。 また、日本社会は、ある領域に優れた職人を尊敬します。 秀才は、職人の一種です。

一方、リーダーは、何もないところに地図を描く人です。 また、答えがないところに答えを見つける人です。

図: リーダー

日本にリーダーは少ないです。

本書は、日本のITを学ぶ若者が、リーダーになってくれるようにと作りました。

まとめ
  • ドリルを買いにきた人が欲しいのは、ドリル(手段)ではなく『穴』(目的)です。 価値はHOWでなくWHATにあります。
  • リーダーは、何もないところに地図を描き、答えがないところに答えを見つけます。


第2章. イノベーションとは何か?


2.1 イノベーションの理論

類型理論

手始めに、イノベーションに関する理論的古典を二つご紹介します。 イノベーションのディレンマとブルー・オーシャンです。 これらは、イノベーションの類型理論で、 新しいものを生み出すことに、直接は役立ちません。 しかし、アイデアを議論するときに使える用語、あるいは見方を、提供します。

イノベーションのディレンマ

まずイノベーションのディレンマという理論です (参考 [クレイトン・クリステンセン、1997])。 その理論は、大企業は必ず衰退するということを提唱しました。 企業はいったん製品が成功すると、その市場を維持するために、小さな改良を続けようとします。 一方、その間、別の企業が、性能的にははるかに劣っている製品で参入します。 チャレンジャーの製品は、けた違いに安価だったり、ユニークな特徴を武器にしたりします。 そのうち、後発製品は、市場の要求する性能を満たします。 そうなったら、顧客はごっそりチャレンジャーの製品に乗り換えます。 これを、破壊的イノベーションと呼びました。

図: 破壊的イノベーション

コンピュータの歴史には、破壊的イノベーションが連続しておきました。

  1. コンピュータの世界は、最初、メインフレームと呼ばれる巨大な箱が、市場を握っていました。
  2. その後、一部屋くらいのサイズに小型化して、インタラクティブに使えるミニコンが興隆しました。
  3. そして、机のわきにおけるサイズのワークステーションが、ミニコンを置き換えました。
  4. さらに、机の上に置いたり、持ち運びしたりするパーソナル・コンピュータが、ワークステーションを置き換えました。
  5. そして、現在は、常時、携帯できるスマート・フォーンがクラウドとともに、生産性の主役となりました。

ディジタル・カメラ市場が、スマート・フォーンのカメラで置き換わったのも、一例です。

クレイトン・クリステンセンは、その後、破壊的イノベーションを二種類に分類しました。 以下の二つです。

  • 低コスト・低性能から、ハイエンドを置き換えていくローエンド型破壊
  • 潜在的な需要を掘り起こし、新しく市場を作り出す新市場型破壊

図: ローエンド型破壊と新市場型破壊

例えば、パーソナル・コンピュータまでは、知識労働者たちによる情報処理・生産という市場がありました。 しかし、スマート・フォーンが登場したことで、新しい市場が生まれました。 それは、それまでコンピュータを使わない人々による、情報の流通・消費という市場です。

図: スマート・フォーンの作った市場

例えば、昔、本屋に出かけて書籍を買うという市場がありました。 それに対し、某ネット小売り企業は、居ながらにしてワンクリックで購入するという市場を創造しました。 また、昔、旅行を計画するために紙の地図を買うという市場がありました。 それに対し、某検索会社の地理アプリは、どこでも即座に地理案内が得られるようにし、 それに関連する市場を生み出しました。

ここで、ディレンマという難しい言葉の意味を解説しておきます。 ディレンマとは、選択肢が二つあるがどちらも好ましくない結果を生みだす状況を言います。

図: ディレンマ

ある企業は、ある製品・サービスで成功すると、それで成長します。 ところが、しばらくすると、新興企業が、新しい魅力を持った製品をもって登場してきます。 そのため、先行企業は、二つの選択肢から選ぶことを迫られます。 (1)製品の成功した路線を否定してやり直すか、(2)持続的改善をつづけるか、です。 成功路線を否定することは、現在の利益を捨てることになり、できません。 そのため、同一路線で改善を継続することになります。 とこうするうち、新興企業の製品は、性能を高め、消費者の要求水準を満たし、市場を奪ってしまいます。 成功企業は、どっちみち、衰退する運命から逃れられません。

イノベーションのディレンマの理論から、学べることをまとめます。

  • 大企業であっても、絶えずイノベーションしづけなければいけない。
  • すでに成功した商品がある場合でも、それを超えて、よりよい価値で社会を進歩させるチャンスが必ずある。

最近は、成功した大企業は、買収という手段で寿命を延ばす傾向があります。 魅力的なイノベーションを引っ提げて登場してくる新興企業を、吸収してしまうのです。 成果が出なかった場合は、大企業がそういうイノベーションを食いつぶしたことになります。 成功した場合は、大企業は新しい要素を取り込んで、再生したことになります。

ブルー・オーシャン戦略

次に、イノベーション(類型)理論の古典の2個目として、ブルー・オーシャン戦略をご紹介します ([チャン・キム、レネ・モボルニュ、2005])。 それは、 レッド・オーシャンブルー・オーシャンという用語を、広めました。 レッド・オーシャンとは、ある同一市場で、複数の企業が、争っている状態を言います。 血で血を洗うように争うさまを、海が真っ赤に染まることで例えています。 一方、ブルー・オーシャンは、まだ手が付けられていない、きれいな青い海です。 これは、新しい市場を作り出している状態を言います。

図: レッド・オーシャンとブルー・オーシャン

この戦略は、以下のアプローチをとります。

  • 既存の市場で競争せず、新しい市場を切り開く。 競争他社を負かすのでなく、競争自体を無意味にする。 既存の需要を引き寄せるのでなく、新しい需要を掘り起こす。
  • 価値を高めながらコストを下げる。 差別化と低コストを共に追及する。 新しく市場を開拓するには、差別的な価値が必要です。 ところが、そのコストが低くなければ、すぐに真似されてつぶされます。 両方とも必要なのです。
この考え方は、これ以降ブルー・オーシャンという用語で一般化しました。

差別化を検討するため、価値キャンパスというものを利用します。 顧客にとっての価値を何個か横軸にとり、価値の大きさを縦軸に取ります。 その上に、競合他社や代替製品をプロットします。 そして、他社に比べて、異なる価値項目で秀でるように検討します。

図: 価値キャンパス

例えば、S航空(こうくう)会社は、LCC(Low Cost Career)というビジネスを始めました。 それまでの航空会社が重視してきた機内食サービス、ラウンジ、座席の選択肢、を捨てました。 そして、低価格にしたうえで、スピードと便数という新しい価値軸に特化しました。 その結果、パッと移動したいだけという潜在ニーズを掘り当てました。

例えば、某エンターティンメント団体は、それまでのサーカスにあった、 経費の掛かる動物ショーや、危険な曲芸を捨てました。 そして、芸術性やテーマ性の分野に価値をおき、サーカスの概念を変えました。

ブルー・オーシャン戦略から、学べることをまとめます。

  • 競争するのは愚かである。 できれば、前例のない価値軸や商品を目指すべきです。
  • 競争しないため、大企業が注目しないようなニッチ市場から始める。 ニッチ市場であっても、そこで成功してNo.1になればいいのです。 その市場では価格をコントロールでき、高い利益率を得て、成長に投資することができます。

2.2 イノベーションの事例

事例から学ぶ

ここで、イノベーションの事例を見て、成功と失敗の要因を学びます。 事例を見るとき、特に、技術革新とイノベーションの関係について気を付けてください。

図: 技術革新とイノベーション

2.2.1 成功事例

付箋紙
  • きっかけ: 弱い接着剤があっても使い道がありませんでした。 一方、簡単にはがれない本のしおりが欲しいとも思っていました。(潜在ニーズ)
  • デザイン: 弱い接着剤を利用したら、つけたりはがしたりできるが簡単に落ちないことに気づきました。
  • 効果: 付箋紙として普及しました。

バーコード
  • きっかけ: アメリカの食品チェーン店は、レジの行列を解消したいと考えていました。 それに役立つ統一的な商品コードがないかと探していました。(顕在ニーズ)
  • デザイン: 1949年、モールス信号を印刷したバーコードが発明されました。 これ自体は、使い道がなく特許切れになりました。 60年代になって、スキャナ技術が発達してきたので、バーコードが利用できるようになりました。
  • 効果: 統一的な識別コードとして、物流その他、いろいろなところに、利用されました。 日本で2次元化して二次元バーコードとなり、世界に貢献しました。

ポータブル・ステレオ・プレーヤー
  • きっかけ: S社の名誉会長が、旅客機内で時間を持て余していました。 自分ひとりで、きれいな音で音楽が聴きたいと思ったのです。 (潜在ニーズの発見)
  • デザイン: 従来のテープ・レコーダー・プレイヤーから、 録音機能を切り捨て、再生機能とヘッドフォーンを組み合わせました。(既存技術の取捨選択)
  • 効果: 持ち運びできるパーソナルな音楽体験となりました。(新市場型、ブルー・オーシャン)

サイクロン式掃除機
  • きっかけ: 掃除をしていると、フィルターが目詰まりし、すぐに吸引力が弱くなります。 また、紙パックを買って交換する手間がかかります。(潜在ニーズ)
  • デザイン: D社創業者の隣に、木材工場がありました。 その粉塵除去装置は、空気を高速に回転させてごみを分離し、ダストに落とすものでした。 その技術を転用しました。
  • 効果: 紙パックの不要な掃除機として普及しました。 (持続的な改善、しかし既存メーカーにはできなかったブルー・オーシャン)

組み立て家具
  • きっかけ: 家具を車で運ぶのが大変でした。 家具販売企業のI社の従業員が、テーブルの脚を外せば、車に入りやすくなると気付きました。 (配送コストという潜在的課題)
  • デザイン: 組み立て式家具によって、家具の配送をなくしました。
  • 効果: 流通・在庫コストも削減。 従業員削減。 品ぞろえ増加。 消費者は、低価格(ローエンド型)で、買って即日から使えるという満足。

動画共有サイト
  • きっかけ: G社の社員が、スマトラ沖地震の動画をインターネットで探しました。 しかし、なかなか見つけられませんでした。(潜在ニーズ)
  • デザイン: 動画共有サイトを作りました。
  • 効果: 世界で最も大きなサービスの一つとなりました。

掃除ロボット
  • きっかけ: I社は、ロボットメーカーでした。 多くのお客様に、「掃除をしてくれるロボットはいつ出るのですか?」と言われていました。(顕在ニーズ)
  • デザイン: 12年間かけて、技術を積み上げました。 ブラシでごみをかきあげたり、 ごみセンサーで繰り返し走査したり、 地雷検知のナビゲーション・システムを利用したり。
  • 効果: 今までにない自動掃除ロボットとなりました。(ブルー・オーシャン)

空き部屋のマッチングサービス
  • きっかけ: A社創業者は、サンフランシスコに住んで、家賃を払うお金がありませんでした。 あるとき、大きな会議が行われることになって、ホテルがどこも満室になっていました。
  • デザイン: 空いている部屋を旅行者に貸し出しました。
  • 効果: シェアリング・エコノミーとしてブレイクしました。(従来のホテル業を脅かすローエンド型)

配車サービス
  • きっかけ: U社創業者は、今、この場でタクシーに乗りたい、と思いました。 が、どんなに手をあげてもタクシーは止まってくれませんでした。(潜在ニーズ:すぐ呼べるタクシー)
  • デザイン: タクシーの運転者と客を、スマート・フォーン2タップで、マッチング。 (既存のスマート・フォーンという技術革新を利用)
  • 効果: 急成長。 ライド・シェア、MaaSという新しい潮流を生み出しました。(新市場型)

モバイル・メッセンジャー・アプリ
  • きっかけ: 東日本震災時、電話もメールも通じないときに、米国発のマイクロブログSNSが活躍しました。(潜在ニーズ)
  • デザイン: コミュニケーションに最低限必要な機能に絞り込みました。 また無料(IP)電話で普及を図りました。
  • 効果: 親密な人同士のコミュニケーションツールの位置を確保しました。 日本では、インフラというくらいまで浸透しました。

高品質雑貨販売
  • きっかけ: 「割れシイタケ」は、十分においしい。にもかかわらず、正規の流通ルートに乗りませんでした。(潜在ニーズ)
  • デザイン: 商品が多い中で(レッド・オーシャン)、生産工程に手間をかけず、販促に費用をかけず、 ブランド品ではないが、良いものを売りました。(ローエンド型)
  • 効果: しるしのない良い品というイメージのブランドとして、世界的に成功しました。 消費者は、精神的な満足感を得られるようなビジョンに共感して、ものを買うことの例となりました。

コンテンツ製作・ストリーム配信サービス
  • きっかけ: 米国のN社創業者は、ビデオレンタル店で返却忘れのために遅滞金をはらいました。 そのとき、そのビジネスモデルはよくないと考えました。(潜在ニーズ)
  • デザイン: サブスクリプション制のビデオレンタルを始めました。 見放題なうえ、返却すると次のビデオが見られるという動機付けで、顧客を離さない仕組みを作りました。
  • 効果: 広告なしで、どのデバイスでも視聴でき、既存のテレビメディアを脅かす存在になりました。

駐車場活用サービス
  • きっかけ: R社は、駐車場管理システムを事業にしていました。 駐車場の価値は自動車を止めるだけでなく、その生活拠点への近さであることに気づきました。
  • デザイン: 駐車場の一区画に大型トレーラーを駐車し、中華料理からイタリアンまで4~6店舗を収容できるようにしました。
  • 効果: 北米の都市人口の7割をカバーする4,500以上の拠点から、生活拠点に近い利点を生かして、 15分以内のフード・デリバリを提供しました。

2.2.2 成功の要因

成功の要因

ここで、成功事例の共通の特徴をまとめます。

  • 第1に、前例のない解決策であるということです。
  • 第2に、解決する課題が明確で、その解決が人々のニーズを満たすということです。
  • 第3に、結果として、人々が受け入れ、広まることです。 広まることで、今までなかった市場が生まれるか、既存の市場が様変わりします。

技術は手段

では、逆に、イノベーションに本質的でない特徴は何でしょうか?

ある場合は、技術は重要な構成要素です。 しかし、別の場合には、ローテクのみで社会を変革しています。 技術は、課題の解決に利用する手段です。 すなわち、手段である技術は、イノベーションの条件ではなくて、オプションです。 つまり、イノベーション=技術革新では、ありません。

課題の大きさが価値を決める

イノベーションは、ある課題を解決することが、人々に受け入れられることで起こります。 そして、解決される課題の大きさが、価値を決めます。 ある技術でどう解決するかという手段(HOW)が、価値をもたらすのではありません。

それでは、商品やサービスの価値とは何でしょうか?

どのくらいの数の顧客が使うか? 顧客がどれだけお金を払うか? 顧客がどのくらい頻繁に使うか? どのくらい社会が変わるか? その後どのくらい文化的遺伝子として残るか? そのほか、いろいろ表現できると思います。 要するに、価値は、解決される課題の大きさに応じて、人々が決めるということです。

2.2.3 失敗事例

エジソンの電気投票記録器

発明王エジソンは、若いとき、初めての特許を、電気投票記録装置で取得したそうです。 その解決する課題は明確でした。 しかし、利用者である議員は、「牛歩戦術」を使います。 そのため、投票に時間がかからなくなることを受け入れませんでした。

課題はある。技術はある。しかし、 利用者が受け入れることが、変化には必要なのです。 そこから、エジソンの「人の役にたつ」諸発明の道程が始まりました。

身につけるスマート・フォーン

G社の眼鏡は、カメラがついて、眼鏡がモニターになっていろんな情報が映し出されるものでした。 当初、歩きスマート・フォーンをなくすという意図を持っていたらしいです。 しかし、たとえ前を向いていても、画面を見ながらの歩きは、危険なことに変わりありません。 Wearableという技術アイデアが流行した時期でした。 何を解決するかよりも、流行の先端を走ることが大事だったかもしれません。 その上、プライバシー侵害の恐れや、デバイス越しの対人関係の不自然さを、社会が受け入れませんでした。

これには、技術があるから作ったという側面があります。 技術先行商品の失敗例は、枚挙にいとまありません。 が、例示はこれだけにしておきます。

2.2.4 失敗の要因

失敗の要因

技術があるから作ったという商品は、失敗しがちです。 なぜなら、技術がまずありきで、誰を、どういう時に、どう助けるのかのゴールが、後付けで曖昧だからです

図: 技術(HOW)先行の失敗理由

ゴールが曖昧だと、どこへ向かうかのターゲットがないので、迷走します。 ゴールが曖昧だと、達成基準も不明確になります。 すると、評価もできず、現在地点がいいのか悪いのかもわかりません。 暗闇で行先も決めずに走ろうとするようなものです。

技術先行の事例は、いつまでも、絶えず湧き出てきます。 なぜでしょうか? 技術の開発者は、夢を持って取り組んでいます。 これで、あれが実現できると、未来を追及することに熱中します。 実は、そこに利用者の視点が抜けがちです。 自分と異質なものの声を聴くというのは、本質的に、難しいのです。 使い手の立場に立つというのは、失敗経験や訓練がいります

2.2.5 夢の力

イノベーションの母体

イノベーションは、ふとした小さな気づきから生まれることが多いようです。 一方、あることの周りに、まとまって起きることもあります。 その中心にあるのは、夢です。 大きな夢(ビジョンないしミッション)があると、 数々の試行錯誤とイノベーションの母体になることがあります (技術先行の罠を注意深く避ければ)。

古い事例を見てみます。

  • アラン・ケイは、誰でも使えるパーソナルなコンピュータを目指しました。
  • ビル・ゲーツは、PCで、すべての机と家庭にコンピュータを置くことを夢想しました。
  • セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジは、検索で、世界の情報を組織化しどこからでもアクセスできるようにすることを狙いました。

より最近の例として、G社の地図アプリを見てみます。 前身のアプリは、『地球の3Dモデルをつくる』というビジョンで、 インタラクティブに衛星写真をズームして見せるものでした。 それをG社が買収しました。 その後、オンライン地理情報というビジョンを媒介として、 さまざまな試行錯誤が生まれ、多数のイノベーションが結実しました。 店舗告知・検索、口コミ、ルート検索、ナビゲーション、交通状況、風景写真、ゲーム、などです。

2.3 消費者に聞く

インターネットによる変化

価値は、作り手でなく、受け手である人々が決めます。

図: インターネットと消費者の力

インターネットが普及し、情報流通が進みました。 その結果、消費者は生産者に対して、以下の点で、より大きな力を持つことになりました。

  • 消費者は、ネットを通じて、まずどんな商品でも見つけられます。
  • 購買後、コメント投稿で、評価を社会に一瞬で共有できます。
  • 複数の提供者や商品があったばあい、最適な商品や売り手を簡単に見つけられます。

インターネットが普及する前は、生産者が市場を支配していました。 大企業が大量生産し、テレビや新聞でコマーシャルを打ちます。 消費者は、そこで初めて商品を知るという関係だったからです。 しかし、インターネット普及後は、生産者は選ばれる存在になりました。 ネットの時代は、消費者が市場を支配しているのです。

なお、ネットでは、消費者が膨大なので、ニッチな商品でも掲載すればビジネスになります。 メジャーな商品からニッチなものまで、いわば裾野が広く提供されているさまを、 ロングテイル(長いしっぽ)といいます。

この力関係の変化は、商品やサービスの価値に変化を与えました。

図: 体験価値

インターネット普及前は、生産者が市場を支配していました。 技術者が、自分たちの了見で作りたいものを作っていました。 あれこれの機能をつけて販売すれば、それにつけた値段で、買ってもらえました。 しかし、インターネット普及後は、消費者がどれを買うかを選択します。 そして、価格に見合う満足を得られたかどうかが、その後の売り上げに影響します。 生産者側も、機能よりも、使用体験を重視せざるを得なくなりました。

この変化は、デザインしたり実装したりする技術者にとって、大きな意味を持ちます。 使用体験とは、利用者が抱くものです。 商品やサービスの価値は、作り手ではなく使い手の視点でデザインしなければ通用しない時代になったのです。

ところで、消費者の力が大きくなったため、大企業側は消費者のビッグデータを独占しようとします。 そして、広告を通じて、消費者に暗に影響を与えようとします。 その意味で、力関係は実は一面的なものではありません。 しかし、いずれにせよ、どんな価値定義や商品設計も、消費者あるいは使い手に聴くということに徹しないといけません。

2.4 第2章のまとめ

まとめ
  • 一度成功した企業は、持続的改良を続けようとして、滅びます。
  • 競争しないように、始めよう。
  • イノベーションにとって、技術は手段です。解決する課題が、価値を決めます。
  • 技術があるから作ったという商品は、失敗しがちです。ゴールが、後付けで曖昧だからです。
  • 夢は、いろんなイノベーションの母体になります。
  • 商品やサービスのデザインは、徹頭徹尾、利用者に聴きながら回します。


第3章. デザイン・プロセス


3.1 デザインの流れ

ウォーター・フォール

ここでデザインの流れを説明します。

本書で学ぶプロセスと対比するために、まずは古典的なプロセスを見ます。

図: 直線的な製品開発(ウォーター・フォール)

開発をフェーズに分けて、上流から下流へと流れるように開発を進めるやり方があります。 上流では、概念を決め、外部仕様を設計し、実装の概略設計をやります。 そして、実装の詳細設計、コーディング、テストへと進みます。 その後、アルファ、ベータなどフィールド・テストを実施して、調整し、リリースします。 この開発スタイルを、ウォーター・フォール(滝)モデルといいます。

このウォーター・フォールは、以下のようなタイプの開発に向いています。

  • 市場・顧客がすでに明確に確立されて、過去の経験が生かせる場合。 この場合は、ニーズやプライオリティが明確で、進めやすいです。 例えば、オフィス業務支援アプリ開発などです。
  • 多数のチーム間で調整が必要な、大規模で複雑なシステム開発。 この場合、組織間調整の仕組みとして、マイルストーンや明確な同期のタイミングを設けます。 例えば、オペレーティング・システム開発などです。

このプロセスでは、利用者視点を取り込むチャネルは細いと言わざるを得ません。 最初に概念を決めてしまうと、外部仕様は大枠に沿ったものとなります。 実装を進めて、フィールド・テストに入った時には、残るは調整のみです。

日本の企業内IT開発や行政ITシステム開発は、ウォーター・フォールが多いです。 その理由は、最後の章で触れます。

スパイラル・モデル

一方、試して、評価・学習して、また試すことを繰り返すようなやり方を、一般に試行錯誤といいます。 試行錯誤で開発を進める流れを、スパイルといいます。

図: 新しいことは試行錯誤(スパイラル)

この開発スタイルは、新しい、未知の価値を、小規模なところから、開発する場合に向いています。

利用者のフィードバックの取り込みを軸に、開発を進めます。 その点で、ウォーター・フォールは作り手中心、スパイラルは使い手中心の進め方です。 これは、ソフトウェア開発の流れだけの相違ではありません。 使い手視点に立てるかどうかという根本的な相違です。 この違いは、生み出されたアプリの効果に、甚大な影響を与えます。

本書では、スパイラル・モデルのプロセスを見ていきます。 それは、課題の調査分析、解決のデザイン、価値のデザインという3つのフェーズを、たどります。 実際には、あとのフェーズから前のフェーズに戻ることも、しばしばあります。 また、それぞれのフェーズ内部も、試行錯誤のスパイラルです。 本書では、一通り、この3つのフェーズとその内部を、頭から順番に直線的に見ていきます。 しかし、実際の実行は、スパイラルだということを忘れないでください。

3.2 3つのフェーズ

リーン・スタートアップ

本書では、リーン・スタートアップという考え方による開発の流れを、見ていきます。 最初に、顧客の課題定義の試行錯誤を行います。 次に、解決策の試行錯誤を行います。 最後に、価値を小さくリリースし、フィードバックを得ながら、継続リリースします。

図: 3つのフェーズ

なぜこのような3つのステップをとるのでしょうか? なぜ、このようなフェーズに分けるのでしょうか? その意味を見ていきます。 実はそこを理解することは、各フェーズ内部の細かいテクニックを押さえることよりも、重要です。

リリースの前後

まず、前の二つと最後のフェーズは明確に区切られます。 前の二つは、リリース前の不確かな情報のもとでデザインします。 そのデザインがないとリリースには進めません。 そして、最後の価値デザインでは、リリース後、顧客が実際に使ってみてのフィードバックという現実を手にします。 それに基づいてデザインを進めます。

図: リリースの前後

顧客視点

次に前の二つのフェーズに関してみていきます。

図: 技術先行商品のリスク

解決をデザインするときは、開発者視点が入ってきます。 もしも解決デザインから始めるとします。 すると、技術があるから作ったという技術先行商品に陥るリスクが生まれます。 つまり、手段を目的と取り違えて、顧客価値を見失ってしまいがちです。

一方、課題の調査分析を先にやると、それ以降のフェーズが変わってきます。

まず、課題の調査分析フェーズで、顧客の課題の何を解決すべきかを決めます。 それは100%顧客視点です。 そこに基礎を置くことで、以降一貫して顧客視点に立つことができるようになります。

図: 顧客中心

電気ドリルが欲しいと言ってきた顧客に対して、穴をあけることが課題だととらえます。 そうすると、1cmのドリルが取り付けられる大型の電気ドリルか、小型のものかどうかは、後回しです。 それよりも、たくさん穴をあけることが必要なのか1回きりでいいのか、穴をあける対象の材質は何なのか、などが、 大切な検討内容になります。

次に解決のデザインフェーズ。 このフェーズで重要なのは、どういう手段で解決するかという実装のデザインではありません。 それよりも、顧客の課題が解決された状態のWHAT、つまり理想的なユーザー体験をデザインします。 つまり、ここでも顧客視点を維持します。

最後に、価値のデザインフェーズ。 ここで解決策をリリースしていきます。 ここで初めて実装検討が必要となります。 が、いったんリリースが始まれば、その展開は顧客のフィードバックで進めます。 このフェーズも実は、技術や実装でなく、顧客主導なのです。

新しい提案

次に、イノベーションという側面から見てみます。 あらかじめ課題の深堀をしないで解決を検討すると、今目に見えている現状に対する解決策になります。

図: 現状の延長になるリスク

つまり、解決デザインから始めると、現状の延長の改善になりがちです。 結果、リリースするものは、新しいものにはなりません。

一方、課題の調査分析を先に行い、そこで、未知・潜在的な課題まで深堀したとします。

図: 深堀した課題の解決

例えば、電気ドリルを買いに来たお客に、ほしい穴は1回きりなのか何回もなのか、その板は何のためのものか、など深堀をします。 問題の深堀フェーズを設けることで、新しい価値に近づきます。

そして、解決のデザインでは、深堀した課題に対する、理想的なユーザー体験をデザインすることになります。 仕事で壁に穴をあけることを、何度もやる人ならば、電気ドリルが解決策でしょう。 しかし、本当の課題が机づくりなら、穴がすでに開いている組み立て式の机を、安価に提供することが解決かもしれません。 また、たまにやる工作のためにパーツに穴をあけたい場合、キリのセットで十分です。

価値のデザインでは、深堀した課題を解決する、理想的なユーザー体験価値を実現します。 そこでは、新しいことを提案できていることになります。

3つのフェーズ

このように、3つのフェーズを、明確に分けて、この順番でやります。

図: 顧客視点、新しい提案

そうすることで、顧客視点を一貫して維持し、新しい提案を生み出すことができるようになります。

3.3 第3章のまとめ

まとめ
  • ウォーター・フォールでの開発は、成熟した市場向け、もしくは大規模な開発向けのものです。
  • 新しいことを開発するときは、軌道修正が楽なスパイラルでやります。 利用者視点のモノづくりをするためには、フィードバックを取り込むことが本質的であるスパイラルでやります。
  • 新しいことの開発は、課題の調査分析、解決のデザイン、価値のデザインという3つのフェーズを、たどります。
  • 最初に、課題の調査分析フェーズをとることで、顧客目線に定位して技術先行のリスクを避けます。 また、現実の延長枠にとらわれるリスクを避け、新しい提案を導きます。


第4章. 課題の調査分析


4.1 課題はどこにあるか?

自利利他

スティーブ・ジョブズは、「大好きなことをしなさい。自分の心に従いなさい。」と言いました (参考 [カーマイン・ガロ、2011])。 なぜか? なぜなら、「人は、そういうときに、最もパワフルになるから」と。 自分の力を引き出すには、自分が好きなことに取り組むことです。 自分の利益を追求することを、自利といいます。

好きなことをやると力が発揮できるというのは、いくつか支持データがあります。

  • 好きなことをやると、脳にドーパミンが出ます。 ドーパミンはやる気や幸福感につながります。
  • また、好きなことをやると、リラックスできます。 すると瞑想状態に出るシータ波が出るそうです。 そういうときは、集中していて、記憶・学習が効率よく働き、ひらめきが出やすいそうです。
  • また、好きなことをやっていると、認知行動が効率化されるそうです。 意識が自然と関連情報を吸収しやすくなります。 それは目標達成を助けます。
また、達成したいことをイメージすると現実化しやすいといわれます。
  • 例えば、オリンピックの選手は、試合前にイメージトレーニングします。
  • 病気じゃないかと気に病むと、本当に病気になる「病は気から」現象があります。
  • また逆に偽薬でも効果がでてしまうというプラセボ効果があります。

一方、課題解決を通して、社会に役立ち認められると、喜びが得られます。 人のためにすることを、利他といいます。

図: 人は社会的動物

人は、本質的に社会的動物です。 他人とのかかわりの中で生まれ育ち、人生を過ごします。 マズローという人は、欲求の5段階説を唱えました。 人は、生存や安全という生物的個体の欲望の上に、帰属・愛情・承認・尊厳などの社会的欲求を持つと。 人は社会的な関係の中で自分の価値を見出し、社会的価値を求めて動きます。 利他というのは、人の自然の姿なのです。

自利と利他が同時に満たされるようなことを、自利利他といいます。

図: 自利利他

自利利他の追求によって、自分も生き社会も生きます。

未知の潜在領域

自分が好きでかつ社会的な課題やニーズでもあることは、どこで見つけられるでしょうか? 自分の頭でしょうか?

図: 顧客の課題やニーズは、どこを探す?

鏡で、自分を振り返ります。 窓から外を見て、他人や外界に触れます。 鏡を見ることも必要です。 が、他人や外界に触れると、いろんな気づきが得られます。

図: 自分の殻を出て、外に出よう

自分がいま意識している自分の困りごとよりは、自分が今知らない課題を、探してください。

課題と他者との関わりを整理します。 自分が意識している課題やニーズか意識していないかを、横軸にとります。 また、他人が意識している課題やニーズか意識していないかを、縦軸にとります。

図: 盲点、未知

  • 自分の頭の中を探すのは、左側を探すことです。
    • 表の左上(自分も他人も意識しているニーズ)は、いわば顕在的なニーズです。

      これは、誰も知っているニーズです。 すでに多くの取り組みがありそうです。 それでも解決できていない可能性が高いので、難しい課題です。 この領域は、レッド・オーシャンです。 解決をデザインしても、よほど優れた差別化要素がないと、成功しません。

    • 表の左下(自分が意識しているが他人が意識していない)ことは、秘密領域と呼ばれます。

      これの多くは個人的なことなので、課題を解決することに社会的価値があるかは不明です。

  • 一方、右側の領域を見てください。 皆さんが、生きてきてこれまでに経験したことは、限られています。 一方、他人と触れることで得られる経験は、豊かで広大です。 こちらに解決しがいのあるニーズが、たくさん埋もれています。
    • まず、表の右上(自分が意識していないが他人が意識しているニーズ)は、自分にとって盲点です。

      たとえば、他人が困っていることがあって、自分は今まで何とも思っていかなかった。 が、ふとITで解決できるなと気付いたとします。 そういうことを発見できれば、とてもやりがいのある仕事になります。

    • また、表の右下(自分も他人も意識していないニーズ)は、 未知または潜在的と呼ばれます。

      もしもこの領域に課題を発見出来たら、それは誰も注目していません。 誰も解決しようとしていません。 ここはブルー・オーシャンです。 ここでは、ユニークな取り組みが可能です。 解決できた場合は、暗に痛みを感じていた人々に即刻支持されて、インパクトが大きくなります。 課題を探すときは、この領域を狙いましょう。

4.2 課題の調査

4.2.1 調査のための予備知識

概要

課題の調査を行うにあたり、事前に押さえておくべき基礎知識として、3つのことを説明します。

  • 意識された欲求は現実の延長である
  • 裏に多様な欲望がある
  • 人には認知バイアスがある
の3点です。

意識された欲求は現実の延長である

有名な話があります。 ヘンリー・フォードは、米国で自動車産業を興したフォード・モーターズの創業者です。 当時は、馬と馬車が主な交通手段でした。 そこへ、彼は自動車を売ろうと考えた。 そのとき、人々に「乗り物として何が欲しい?」と聞けば、返事は「もっと速い馬が欲しい」となりました。 人々はまだ自動車を知らなかったのですから当然です。

のちに、スティーブ・ジョブズは、「人は欲しいものがわからない。 これだろう?と言われて初めてそれが欲しいとわかる。」と言っています。

人々が本当に欲しいものを見つけるのは、リーダーの仕事です。 そして、新しい解決策を提案するとき、人々から話を聞いてはだめです。 人々が言語化できるのは、すでにある解決策の延長にあることだけだからです。 人々が言語化できない、本当の目的と課題を発見しなければなりません。

図: 潜在意識まで探る

フォードや、ジョブズの格言を、別の観点から見てみます。 人は、欲求を言葉にします。 しかし、言葉の下には、別の本音が存在しています。 ここまでは意識されています。 それらは、現実の延長で、現在の制約に閉じ込められています。 そして、その下には、意識さえしていない欲求があります。 これが潜在意識です。 ユーザーの課題調査では、言葉にとらわれてはいけません。 言葉にされていない潜在意識まで探ります。

ニーズや課題の裏に多様な欲望がある

中国では自撮り棒がはやりました。 それを利用するユーザーの欲望は、どういうものでしょうか? 考えてみてください。

図: 秘密の欲求感情まで探る

隠れた欲求を見つけます。 そのとき、欲求は多様であることに気をつけてください。 左側は、マズローの欲求5段階説です。 生理的なものから社会的なもの、自己実現欲求もあります。 右側はケンリックの説です。 生理的なものから社会的なもの、最後に繁殖欲望があります。 いずれでも、欲求は多様です。

図: 欲望を満たす

課題やニーズには、その裏に解決を望むある欲望があります。 課題の裏にある欲望の種類に応じて、それを満たす解決策も変わってきます。 本当の解決策とは、背後の欲望を満たすものです。

人には認知バイアスがある

実験をします。

  1. 周りを10秒見渡したあと、目をつぶってください。
  2. 目をつぶったまま、思い出してください。 周りに何か赤いものがありましたか?
  3. 目を開けて、赤いものを探してください。

目をつぶって、赤いものを思い出しても、なにも思い出せません。 しかし、赤いものがないか再度確認すると、実はいくつも見えていたことに気づきます。 意識しないでやり過ごしていることは、多いのです。

別の実験を紹介します (参考 [Daniel Simons, 2010])。 白い服を着たチームと、黒い服を着たチームが、 バスケットボールのパスをしている動画を見ます。 そのとき、「バスケットをしている人たちのうち、白い服を着ている人たちが、何回パスをしたのかを教えてください」、という指示を受けます。 そして、実は、その動画の最中に、ゴリラが横切ります。 たいていの人は、数えることに注意を向け、ゴリラに気づきません。 つまり、注意していることだけが、意識に入ってきているのです。

以上の実験で示されるのは、カラーバス効果といわれる現象です。 人は、お風呂でシャワーを浴びるように、環境から刺激を浴びているが多くを意識していない。 しかし、注意すると、意識に入る。 つまり、脳は、身を置いた環境で知覚した溢れんばかりの情報から、選択的に意識に取り込んでいます。

これは、カクテルパーティ効果とも通じます。 人混みや雑踏の中でも、友人知人はすぐに見つけられます。 自分に関係があったり興味があったりする言葉は聞き取りやすいのです。

また、引き寄せといわれることにも通じます。 目標を立てると、達成するための情報が集まり、目標を達成しやすくなります。 勉強の対象に興味がわくと、対象知識が頭に入ってきて、成績が向上します。

注意していないと気づかない。 逆に、気にしていることには気づきやすい。 これは、認知バイアスと呼ばれるものの一つです。 これが、課題の調査とどう関係するのでしょうか?

調査分析で何かを発見しようとするとき、自分の認知バイアスに、重々、気を付ける必要があります。

図: 自分が普段意識しないことに気づくには

そして、ここがポイントです。 未知や潜在的なことは、発見したり気づいたりすることが必要です。 それには、きっかけやそれなりのテクニックが必要です。 本書では、色々なテクニックをご紹介します。 役に立てください。

4.2.2 定性調査から始める

仮説検証

課題分析の具体的なテクニックの話に入ります。

調査分析は、スパイラルです。 まず、困りごと、困っている人の仮説を立てます。 仮説を検証するために、調査します。 検証したら、分析して、仮説をたてなおします。 この仮説・検証を、調査と分析を通して、繰り返し行います。

図: 課題の調査・分析のスパイラルプロセス

定性調査と定量調査

調査には、定性的なものと定量的なものがあります。 定性調査は、何が、なぜ、いかに、などを問います。 定量調査は、どのくらいを問います。

日本人の好きなアンケートは、定性調査と定量調査のどちらでしょうか? もちろん、定量調査です。

定性調査は、発見のために行います。 これから紹介する行動観察法やインタビューなどがあります。 定量調査は、証明のために行います。 アンケートのほか、WEBアクセス統計などがあります。 調査は、定性調査で始め、その後、定量調査を行います。

図: 調査の手順

定性調査の効果は、問題理解を通して、ひらめきや発見を得られることにあります。

図: 定性調査の効果

なぜ定性調査が先なのでしょうか?

まずは、課題を発見し明確にしたうえで、どのくらいという問いが意味を持ちます。 問いが明確になっておらず曖昧な段階では、どのくらいかを調べても導かれる結論はボケたものになります。

図: 定性調査で問を明確にする

アンケートなどの定量調査は、正しい質問をすでに持っていることが前提です。 さらに、定量調査は顔の見えない情報収集なので、しぐさや表情が見えず本音がわかりません。 また複数人相手のインタビューをするフォーカスグループという手法があります。 が、これは、多数意見に流れやすいので、本音が隠れます。

世間に公表された調査結果というのは、大多数が定量的なものです。 定性的なものはまとめにくいのに対し、定量的なものはグラフなどでまとめやすいためです。 そのため、調査といえば定量調査しかないと思いがちです。 しかし、事前に精密な定性調査があってこそ、定量調査が成立します。 調査の現場では、定性調査こそが本質的です。

調査をする人にとって、結果が報告しやすい定量調査は魅力です。 しかし、アンケートの結果が出たときにどういうアクションをとるのかをイメージすると、曖昧な質問が多いです。 具体的なアクションに結び付かず、抽象的な知見を得るアンケートは役に立つでしょうか? まず定性分析で問の質を研ぎ澄ますことが大事です。

4.2.3 行動観察法

行動観察法の考え方とやり方

代表的な定性調査方法として、行動観察法をご紹介します。 これは、問題が起きる現場で、実際の行動を観察するものです。 人々から話を聞くのではなく、深層心理を探るため、行動を観察します。

図: 行動観察法

なぜ人から話をきくのでなく、人の行動を観察するのでしょうか?

行動観察法は、言語化される以前の、無意識的な行動に注目します。 そして、その無意識的な行動の背景にある目的・課題を見つけようとします。

なぜ現場を重視するのでしょうか?

言語化された事柄は、時空を超えて共有できます。 が、言語化される以前の無意識的な行動は、その状況でしか起きません。 そして、その無意識的な行動の背景に、未知の課題があることを探ります。

具体的な実施例を見ます。 某書店の例です。 店員が、行動観察をしました。 その結果、タイトルの字が小さい新書に関し、お客様が身をかがめて手に取り、さらに試し読みをすることに気づきました。 そこで、心地よく試し読みできるように設備を工夫しました。 その結果、売り上げが増えたそうです。

行動観察法は、見て観察するだけの方法ではありません。

  • 見て観察できない場合もあります。 そういう場合、現場の写真を撮って証拠集めして、それを後で分析したりします。
  • また、アプリを使ってもらい、思ったことをつぶやいてもらう、つぶやき法というのがあります。

これらも、行動観察の1種です。

即座にメモする

行動観察で、気づいたことを素早くメモするには、スマート・フォーンにメモアプリを準備しておくといいです。 メモアプリに、手書きインクと、音声認識などあります。 目的に応じて選んでください。

手書きインク 音声認識
文字認識せずに、インクを残すもの。 文字認識して文字コードにするものだと、候補から選ぶなどの編集がまどろっこしく、素早くメモできません。 音声録音ではなく、音声認識してテキストで残し視認できるもの。 メモが複数ある時、視認できないと検索できない。
利点 ほかの人に見えないので、プライバシーが守れる。 戸外で使っても、恥ずかしくない。 光やノイズなど環境の影響を受けない。 素早く(手書きの5倍速い)、アイデアを、文で記録できる。 誤認識結果が混ざっても、文の一部なので思い出しやすい。
欠点 急ぎの手書きは、字が汚い。 また、インクは領域を結構とるので、単語程度しかメモできない。 それらのため、後で読むと思い出せないことがある。 認識時、人に聞かれるので、プライバシーがない。 日本では戸外で使うと奇妙にみられる。 ノイズが多いところでは、認識結果が悪い。
用途 買い物リストとか、日常のちょっとしたことをメモする。 後でしっかりした文に編集したいものを、思いついたときにメモする。

表: 即座にメモする

4.2.4 半構造化インタビュー法

半構造化インタビュー法の考え方

次に、定性分析の第2の手法である、半構造化インタビューをご紹介します。

ユーザーは、本当は何が欲しいか、言語化できません。 そこで、行動観察を通して、ユーザーの潜在意識を探ります。 ここで、半構造化インタビュー法では、逆に話を聞くという手法です。 いったいどういうことでしょうか?

この手法は、対話を通して、ユーザーの潜在意識にあることを引き出します。 半構造化インタビューは、最低限聞きたい質問を2,3準備するだけです。 ほかは流れに即して対話を進めます。 その意味で、半構造化と呼ばれます。

図: 半構造化インタビュー法

なぜ聞きたいことをあらかじめ全部準備しておかないのでしょうか?

対話の流れの中で、表面に浮上してきた言葉をきっかけにします。 そして、言葉の背後にある本音や深層心理を引き出します。

二つの手法を比べます。 行動観察は、言葉と表層意識を迂回して、行動から攻めます。 深層心理と潜在的な課題・欲望を掘り出すのに適しています。 一方、半構造化インタビューは、言葉を介して様々な状況設定ができます。 そのため、課題の掘り出しに限らず、デザインした後の評価などさまざまな場面でも利用できます。

図: 行動観察と半構造化インタビューの違い

インタビューといっても色々あります。 例えば、人事採用面接では、面接する人が面接される人を試す状況です。 その場合、相手のコミュニケーション能力などを明らかにするような、圧迫質問をするでしょう。 潜在能力を見るために、知識を必要としない知能クイズ的な質問もするでしょう。 また、性格と行動パターンを見るために、特定の状況を設定して、どうふるまうかどう考えるかを聞いたりします。 30分くらいで、人物を多面的に探ってしまいます。 インタビューには、目的に即してそれなりのテクニックがあるのです。

一方、課題の調査では、ユーザーから本音や潜在意識を聞き出す状況です。 そこで使う半構造化インタビューの基本は、師匠弟子モデルという心構えです。

図: 師匠(語り手)と弟子(聞き手)

語り手は師匠で、聞きだし役の自分は、その師匠の弟子です。 弟子ならば、でも、しかし、という言葉は、禁句です。 あくまで、師匠の語りから、問題領域の本質を教えていただくのです。

いいインタビューにするために、配慮することがあります。 まず、語り手の不安を取り除くということです。 インタビューの最初は、共通の世間話で相手との壁を取り除きます。 冒頭で、自己紹介やインタビューの目的を伝えることも必須です。 話の間は、聞き上手に徹します。 そして、最後に、言いそびれたことがないか、残すことなく話を聞いたことを確認します。

図: 語り手の不安を取り除く

いいインタビューにするための配慮点の二つ目は、語り手へのフィードバックです。 話してよかったのだ、役に立ったのだと、思ってもらうように配慮し、伝えます。 最後に、ありがとうございます、で締めます。

図: 語り手に話してよかったのだと感じてもらう

聞き上手のテクニック

話の間は、聞き上手に徹します。 聞き上手とは、どういうことでしょうか?

聴くことは、耳、目、心を含みます。 聞くことは、耳で聞く、目でしぐさや表情を見る、そして心の中を感じることを、含みます。 聞き上手であれば、相手がもっと語りたいという気持ちを引き起こします。

図: ただ聞くだけでなく、見て、心を感じること

聞き上手の基本は、相手に集中することです。 あいづちをうつ、相手の目を見ることで、相手に集中します。

図: 聞き上手の基本

聞き上手は、話の中で、相手のメッセージを、繰り返し、要約し、確認します。 それらで、相手の行ったことを、確実に理解し、相手に聞かれているという安心感を与えます。 これが対話のキャッチボールの潤滑油になります。

図: 聞き上手の反応

対話の中では、質問の仕方にも注意しなければなりません。 質問には、開放型、閉鎖型、誘導型、制限型という4つのタイプがあります。

図: 質問の類型

この中で、インタビュー時に使うべきは、開放型です。 誘導型は、相手から未知のことを引き出すことができません。 閉鎖型、制限型は、わずかの情報しか引き出せず、すぐに対話が途切れてしまいます。 開放型質問は、何が、いつ、どのように、どこで、だれが、どれが、と聞きます。 そうすることで、自由で広がりのある解答を引き出せます。

深堀のテクニック

次に流れの中で、掘り下げていくテクニックを見ていきます。

  1. まず、一つの質問で一つのことを聞き、相手が集中しかつリラックスして話せるようにします。

  2. また、「なぜ?」の代わりに、「もう少し詳しく教えてください」などと、聞きます。

    これは、状況によります。 親しい相手や、相手がリラックスできている状況ならば、「なぜ?」という質問をしても大丈夫でしょう。 しかし、初めての相手とか相手がまだ緊張が解けていない状態のときだと、「なぜ?」という直球質問は威圧感を与えるかもしれません。 「なぜ」は、避けたほうが安全です。

  3. 相手のしゃべったことに関し、相手の観点を広げてもらうための質問をします。

    例えば、時間軸をずらした質問をします。 過去に戻って「きっかけは?」と聞いたり、未来に行って「その結果どうなりました?」と聞いたりします。 また、現実から離れてもらいます。 「どうしたかったのですか?」とか「逆だったらどう思いますか?」と聞きます。 また、相手が立場を変えてもらいます。 「ほかの人ならどうでしょうか?」などと聞きます。

  4. 相手が、抽象的な言い方をした場合、具体的に言い直してもらいます。

    形容詞「いい」とか、形容動詞「楽々と」とかは、要注意です。 「なにが? どこが? 何と比べて? どのように? どういう点で?」などと、具体的に言い直してもらいます。 また、程度の副詞「すごく」なども、要注意です。 「何と比べて?」とか「例えて言えば?」などと、具体的に言い直してもらいます。

  5. 最後に、言い淀み、ためらいは、本音を語りかねているサインです。 それは、深堀の絶好のチャンスです。 語るように促します。

図: 深堀のテクニック

以上のようなテクニックを使い、本音や深層心理を、対話の中で探ります。

自分が把握している知りたいことがあります。 これは最低限準備していた質問に関する回答です。 自分が把握していなかったが、実は知りたかったのだということもあります。 半構造化インタビューが終わった時に、そういうことを見つけていたら、大成功です。

図: インタビューの成功基準

なお、この半構造化インタビューのテクニックは、いろんな状況で使えます。 例えば、上司との面談、発注顧客との打ち合わせ、ユーザーの調査、異性の気持ちを確かめたいとき、など。

検索

おまけで、課題を見つける簡易な方法を、ご紹介します。 検索時、検索アプリは、よく行われる検索のキーワード予測をしてくれます。 また、ページの末尾に、関連キーワードリストを出してくれます。 これらは、たくさんの人々が関心を持っている事柄です。 それらから、人々のニーズや要望が見えてきます。 例えば、湯沸かしポットでググると、電気代節約とか持ちやすさとか衛生的であることなどが、人々の関心事だとわかります。

LLM(大規模言語モデル)を利用する場合、知りたいことを質問し、掘り下げていけば、 要領を得た回答が得られるかもしれません。

ただし、これらは、すでに言語化されていることの統計からきているので、 顕在領域の課題を出す手法になります。

4.2.5 アイデアを集約する

KJ法

定性調査で集めた気づきは、定性情報であるため、混とんとしています。 そこに、まとまりや構造を見つけていきます。

そういう時に、KJ法を利用できます。

図: KJ法ブレーン・ストーミング

KJ法は、たいていの方がすでに経験されていると思います。 Affinity Diagramとも呼ばれています。 川喜田二郎が、1967年に作ったものです。 チームでブレーン・ストーミングをするときに、広く利用されています。 個人の考えをまとめる際にも利用できます。

本書では、この図にある手順で、KJ法を利用します。

  1. まず、各人が、課題仮説を、付箋紙に書きます。
  2. チームで、それぞれ付箋紙に書いたことを説明しながら、並べていきます。 意図を全員が理解するまでQ&Aします。
  3. 全員のアイデアを並べたところで、アイデアリストができます。
  4. 次に、内容が意味的に近いものをまとめます。 まとまりが落ち着いたら、まとまりに小タイトルを付けます。
  5. さらに、中タイトル、大タイトルと、階層化していきます。
  6. この段階で、できたマップを、マインドマップと呼ぶことにします。

KJ法は、紙ではなく、オンライン・アプリでやることもできます。 沢山のアイデアを整理するため、表示がコンパクトなアプリを選びます。 自動レイアウトしてくれるものが楽です。 共同編集ができるアプリを選べば、編集者に負荷が集中せずに済みます。 スマート・フォーンでも編集できるクラウド型を選べば、思いついたときに気軽に編集できます。 そして、export/importで、FreeMindファイル形式や、HTML形式に変換し保存できるものを選んでください。

KJ法は、アイデアを自由に出し合うことがゴールです。 そのため、作業の中で、他人のアイデアを批判してはいけません。

他の人のアイデアに触発されて新しいアイデアが出たら、随時、追加します。 右脳の連想力を利用します。

階層化の過程でも、新しいアイデアが出れば、随時、追加します。 空間的に眺めると、見逃しや、新しい視点などに気づきます。 アイデア創出に、視覚による空間認知を利用します。

4.3 課題の分析

4.3.1 課題の分析概観

分析の概観

課題仮説を得たら、まず課題を絞り込みます。 そして、その仮説を分析し、理解を深める作業をします。 分析は、顧客をしぼり、代替策を押さえ、ペルソナと共感マップで整理する、などでやっていきます。

図: 課題の分析

4.3.2 課題を絞り込む

課題仮説の絞り込み

いろいろな課題仮説があったとします。 その中から、取り組む課題を絞り込みます。 絞り込みのために、いい課題とはどういうものかを、ここで見ていきます。 以下で、ご紹介するのは、いい課題の特徴を、成功した事例を後から分析して、得られたものです。

  • いい課題の特徴の1番目は、現在は、誰も、当たり前のことと思ってしまっていることです。 そういうものは、潜在的な課題であるしるしです。 解決策を示したときに、人々が「あっ、そうか」というものに化けます。 また、まだ誰も解決策を実現していないことなので、前例のない解決となります。

    • 例えば、自働車の前は、移動は歩きか馬かが当たり前でした。
    • 掃除ロボットの前に、掃除は人がやるものでした。
    • フード・デリバリ拠点になる前、駐車場は車置き場でした。

  • いい課題の特徴のその2は、課題の背景に具体的な欲望が透けてみることです。 何らかの解決策で、それらの感情・欲望を満たせば、顧客から強烈に支持されます。

    • タクシーをなかなか捕まえられずいらいらするという課題の裏には、待ちたくないという欲望が存在します。
    • 自撮り棒の裏には、仲間にかっこよく見られたいという社会的欲望があります。
    • ポータブル・ステレオ・プレーヤーの裏には、どこでも音楽が聴きたいという欲望があります。

  • いい課題の特徴のその3は、課題の解決の効果が、大きくなるとイメージできることです。 効果が大きいと、解決策を実現したときに、「それなしにはやれない」というものに化けます。 ビタミン剤よりも痛み止めになるものになります。

    解決策が具体的になっていない段階では、解決策が痛み止めになるかどうか、まだわかりません。 しかし、課題の解決状態をイメージして、その効果が大きなものになりそうかどうかは、わかります。

    • 例えば、時速20kmで長くは走れない馬の代わりに、時速100kmで疲れを知らない自動車があれば、 物流・人流に多大な効果が期待できます。
    • 紙の地図情報をスマート・フォーンに取り込めば、いろんなことができると想像できます。
    • 統一的なコードがあって自動読み取りができれば、在庫管理・販売管理にとどまらず物流にも効果が大きいです。

  • 第4に、最も困っている人々(ターゲット)の特徴が明確であることです。 ターゲット層が明確であれば、課題はより具体的に把握しやすくなります。 解決策のデザインも、ゴールが明確となります。 検証も、やりやすくなります。

    • バイクの開発時に、蕎麦屋の出前配達員をターゲットにすることで、デザインが進みました。
    • 掃除をする人にとって、ごみパックを付け替える手間は煩わしいものです。

以上をまとめると、いい課題とは、以下の通りです。

  • 今は当たり前とあきらめられていること
  • 欲望が透けて見える課題であること
  • 解決効果が大きいとイメージできること
  • ターゲット顧客が明確であること

課題に対する注意点

ところで、自分たちは課題の被害者だ、という見地はとってはいけません。 その立場だと、解決は他人事となります。 他人事になると、解決というより批判になります。 自分や加害者など課題の当事者をすべて含めて、その奥の課題まで深堀して解決する、 という考えを取ってください。

課題がハードウェアの進歩に強く依存していると思えることがあります。 その場合、一見、自分たちでは、どうにもならなさそうです。 しかし、解決策を検討するときは、よくよく頭を柔軟にしてやってください。 多くのイノベーションは、既存のものの組み合わせです。

4.3.3 顧客を絞る

なぜターゲット顧客層を絞るのか?

商品を企画する組織の部門を、マーケティングといいます。 マーケティングの世界では、企画のアプローチとして、R-STPという言葉があります ([フィリップ・コトラー、2000])。

  • Rは、リサーチ、調査のこと。
  • Sは、セグメンテーション、顧客層を分けること、
  • Tは、ターゲッティング、ターゲットとなる顧客層を定めること。
  • Pは、ポジションイング、ターゲット顧客層にとっての価値命題を設定することです。 価値命題とは、何がうれしいかということです。

図: R-STPのセグメンテーション、ターゲッティング

ここで、SとTというステップがあることに注目してください。 顧客は、性別、年齢、職業など様々な属性を持ちます。 ターゲット顧客層は、その特徴を浮き上がらせる属性を選んで、特徴づけます。

なぜターゲット顧客層を絞るのでしょうか?

それは、ターゲット顧客層を絞ることで、要求とゴールがより明確になるからです。 また、分析やデザイン、評価がやりやすくなるからです。 初めから、一般ユーザー向けに価値を検討しようとすると、要求が様々でデザインが複雑になります。 一方、個別から攻めても、結果的に普遍的な価値に化けていきます。 そのため、顧客層を絞ります。

図: 顧客層を絞る意味、個別から普遍へ

課題仮説が広範囲のユーザーの課題であるとき?

課題仮説が広範囲のユーザーの課題であるときは、どうしましょうか?

その場合は、その課題を最もシビアに感じ、最も解決したいと願っているユーザー層を定義します。

図: 最も解決したいと願っているユーザー層

ターゲットユーザー層を一般の人とした場合と、絞り込んだ場合とで、解決策のデザインが変わってきます。 ターゲット層を絞り込むと、むしろ、課題の優先順位さえ違ってくることがあります。 ターゲット層を絞ることで、定義した課題も解決策もよりシャープなものとなります。

複数のターゲットユーザー?

ここで、ターゲットユーザーには複数設定しないといけない場合があります。

例えば、おもちゃは、使う人は幼児です。 買う人は保護者です。 子供が喜ぶおもちゃは、どういうものか? 保護者が喜んで子供に買い与えたいと思うおもちゃは、どういうものか? これらは、異なります。 別個のユーザー層がかかわる場合、それぞれ特徴づけをして、それぞれ分析します。

図: 買う人 != 使う人

また、ビジネスモデルに複数のプレイヤーがいる場合があります。 例えば、ネット上の広告ビジネスは、広告枠を買う販売者と、広告を見て買う消費者と、2種類のプレイヤーがかかわります。 広告ビジネスを推進したいと思ったら、これら2種類のユーザー層をそれぞれ分析する必要があります。

図: 複数グループが受益者であるビジネス

重要なユーザー

ターゲットユーザーを決めたときに、早期採用者という人たちのことを意識してください。

図: 商品のライフサイクルとユーザー層

商品のライフサイクルに沿って、ユーザー層を分類します。

  1. ある商品は、その導入時期には、まず新しい物好きな人たちに採用されます。
  2. 次いで、早期採用者(Early Adopter)という、進取の気風を持つ人たちに採用されます。
  3. その後、商品がうまく回った場合、その成長期に、早期追随者に採用されます。
  4. 成熟期には、後期追随者に採用されます。
  5. やがて、衰退期に、遅れ層に採用されて、そのライフサイクルを終えます。

ユーザー層の中でも、重視したい層があります。

図: 重要なユーザー

早期採用者(Early Adopter)は、ユーザーの中でも、ほかの人より先に新しいことを試すタイプです。 この層は、解決デザインや価値検証などに、積極的に参加してくれる層です。 その人たちと一緒になって、商品の概念を練り上げます。

さらに、早期採用者の中には、熱狂的ユーザーが見つかるかもしれません。 そういう人は、口コミサイトを通じて、成長を後押ししてくれます。

このように、ターゲットユーザーの中でも、早期採用者や熱狂的ユーザーはキーとなる顧客層です。 定性調査の段階で見つけ、協力をお願いします。

4.3.4 代替策を押さえる

課題に対する現在の代替策を押さえる

いい課題と顧客層を絞り込んだとします。 ここで、ターゲット顧客が、今、現在、その課題に対して仕方なしにとっている解決手段を押さえます。

図: 代替策?

解決策を検討する際に、これよりも十分に優れたものかどうかを吟味します。 競合分析の第1歩です。

代替策を把握する作業を軽く見てはいけません。 世間知らずではだめです。 世間でありふれた失敗策を、なぞることになってはいけません。 最低、ググって、世間の標準的な解決策を調査しましょう。 その際、現状の解決策の限界や課題も知ることができます。

できれば、実際のターゲットユーザー層にインタビューし、現在の代替策を把握します。 インタビューで、代替策の決定的な欠点や顧客の願望など、関連情報が掘り起こせます。

4.3.5 ペルソナ

ペルソナとは?

ターゲット顧客層を、ペルソナという手法でモデル化します。

ペルソナとは、『調査に基づいて、具体的な人物像を想定し、 ターゲットユーザー層の典型的な属性や行動、および、目標と課題について、 解決したい動機という思考・感情面に踏み込んで文章化したもの。』 です。

解決策は、この解決したい動機と感情に答える必要があるので、ここでそれらを押さえます。

なぜ具体的な人物像にする?

なぜ具体的な人物像にするといいのでしょうか?

図: 具体的な人物像にする意味

ペルソナは、あくまで、利用する人たちにとって役立つツールです。 具体的な人物像を思い描くと、その人物に感情移入して、関連することがイメージしやすくなります。 それが、いわば疑似的な生活体験のようになって、利用する人の記憶に残ります。 この記憶に残りやすいという点が、ペルソナの効果です。

エピソード記憶として残りやすいことから、さらに大きな効果が生まれてきます。

  • 開発者は、自分視点だけでモノづくりをしてしまう危険があるものです。 ペルソナという具体的な人物像を心に描いて開発すると、記憶に残りやすいので、 ターゲットユーザー視点というものを堅持することができます。

  • また、具体的な人物像は、抽象的な人物像よりもわかりやすく、記憶に残りやすいので、 チーム内メンバー間、社内部門間で共通な概念として定着しやすくなります。 コミュニケーションのツールとなるのです。

  • 記憶に残りやすいというメリットは、時間を経ても効果を生みます。

    具体的な人物像の記憶があると、折々に、関連した情報に触れると気に留めやすくなります。 関連情報を引き寄せます。 関連する情報が集まってくると、今度は、ヒトの頭の中では具体的な情報を一般化して把握しようとします。 一般化された記憶を、意味的記憶といいます。 エピソード記憶が、意味的記憶へ変化します。 こうやって、具体的な概念を手始めとして、具体と抽象の循環が始まります。 この循環によって、人物像が深化するのです。

    図: ペルソナの効果:具体と抽象の循環

ペルソナの事例として、某自動車メーカーの初期のバイクの話が有名です。 その企業は、蕎麦屋の出前配達員を、想定ユーザーとしました。 そこで、デザインを具体化しました。

ペルソナのサンプル

ここに、具体的に文章で書いたペルソナのサンプルがあります。

  • プロフィール、属性・行動には、ターゲットとする顧客層を特徴づける典型的な具体例を書きます。
  • 目標は、その人物が実現したいと思っていることです。
  • 課題には、どういうニーズがあるかを書きます。 ここで、ニーズの裏にある思考や感情面の動機を含めて書くことが重要です。 動機に関わる感情思考を下線で示します。

健康老人
プロフィール、属性、行動 山田太郎。
70歳。男性。既婚。60歳で引退。毎日が日曜日。収入は年金のみ。横浜市郊外。妻と二人暮らし。
ボケ防止に囲碁を始め、週に1回、近所のサークルに通っている。 健康のため、毎朝、ランニングをする。 子供家族は東京に住んでいる。 時々孫と会える時が一番楽しい。 主に、テレビと新聞から情報を得ている。 PCやタブレットといった面倒なものはもう使わない。 スマート・フォーンを持っているが、電話としてしか使っていない。
目標 健康で居続けること。人に頼らずにいること。
課題 最近、健康上で不安なことがいろいろ出てきた。 しかし、医者に相談するのも怖いプライドがあるので子供に頼るのも嫌だ。 もしも妻に先立たれたら、一人となり、寂しさとどうつきあうかわからない。 年齢的に、車の運転がいつかは無理となる。 そのとき、買い物や通院等、手段がなくなれば、どうすればいいかわからない

表: ペルソナの例

4.3.6 共感マップ

共感マップとは?

次に共感マップをご紹介します。 共感マップは、『顧客が何を見て、何を聞き、何を考え&感じ、何を語り&行っているかを、一枚にまとめたもの』です。 ユーザーの行動・言明、思考・感情だけでなく、周囲にある人々の行動や環境を含めて、ユーザーを理解します。

環境を整理する理由

なぜ、周囲を含めて、整理するのでしょうか? 共感マップの意義は何でしょうか?

ペルソナは、課題を解決したいだけでなく、周囲の状況に影響されます。 解決策を単独で提供するだけでは、実際の解決にならないかもしれません。 周囲の状況も踏まえて、解決をデザインするために、周囲を含めてターゲット顧客を理解します。

共感マップの例

これは、共感マップのサンプルです。

図: 共感マップの例

中央にペルソナの名称を書きます。 下の課題と、目標は、ペルソナで書いたことを要約して書きます。 その上には、何を聞いているか、何を感じ思っているか? 何を見ているか? 何を言い行っているか? を埋めます。 これによって、ペルソナの周囲の状況を把握します。

分析手法の位置づけ

分析手法として、ご紹介したものの関係をまとめます。

図: 分析手法の位置づけ

まず、顧客層を絞り、代替策を押さえます。 そのうえに、ペルソナで、具体的な人物像の、典型的な属性、行動、思考、感情をまとめます。 さらに、共感マップで、周囲の状況をまとめます。 これらで、課題と顧客の情報を整理します。

二次資料で補う

一次資料というのは、行動観察したりインタビューしたりして、自分たちが直接見聞きした情報をいいます。

図: 一次資料、二次資料

二次資料というのは、ほかの人が集めた間接的な情報です。 分析時に、情報が足りないと思ったら、二次資料を探して、情報を補います。 白書、市場レポートなどです。

二次資料の一つは、関連検索キーワードです。 キーワードの順番で、優先順位が想像できます。 課題に関連する別の課題も、わかります。 また、代替策が既存の商品・アプリであれば、それらの口コミで不満点がわかります。

二次情報で、最も体系的にわかりやすいものは、白書や市場調査会社の発行する記事です。 様々な課題がわかります。 また、ターゲット顧客層のデモグラフィーも書いてあることがあります。

また二次資料として、面白いのは、Yahoo知恵袋です。 そこには、困った目にあっている人が悩みを書いています。 その課題で悩んでいる典型な人物像と行動がわかります。 また、周りの人間関係にも触れられていることがあり、周囲の状況が想像できます。

4.4 第4章のまとめ

まとめ
  • 課題はどこにあるのでしょうか? 自利利他なところを追及吸えば、自分も生き社会も生きます。 また、自分が意識せず、他人も意識していない、未知の洗剤領域に課題を発見してください。
  • 調査の前に、意識された欲求は現実の延長である、ニーズや課題の裏に多様な欲望がある、人には認知バイアスがある、の三点を押さえてください。
  • 調査分析も、仮説設定と検証の繰り返しです。
  • 定量調査の前に定性調査をやります。まず発見して、問いを明確にする必要があるからです。
  • 定性調査には、代表的なものに、行動を観察する手法と、半構造化インタビュー法があります。
  • 定性調査の結果の集約などには、KJ法が使えます。
  • 調査の分析は、課題の絞り込み、ターゲット顧客層の絞り込み、代替策の把握、ペルソナ作成、共感マップ作成などを行います。


第5章. 解決のデザイン


5.1 解決のデザインの概要

概要

解決策の検討もまた、仮説立案とその検証の繰り返しです。

図: 仮説立案とその検証の繰り返し

仮説を立てるときは、まず広げてから絞ります。 いい解決策を絞り込んだら、ストーリー化とビジュアル化で解決策を具体化して、検証します。

図: 解決デザインのテクニック概観

広げてから絞る

仮説を立てるときは、広げてから絞ります。

図: 広げてから絞る

まず広げることが、なぜ重要なのでしょうか?

解決策候補が少しだけで、一番良く見える解決策を採用したとします。 しかし、解決策候補をもっとたくさん挙げたうえで、一番よい解決策を採用したほうがより良い解決策となります。 局所解でなく、大局解を見つけるために、まず解決策候補のすそ野を広げる必要があります。

図: 広げる意味

では、広げるために、どんな手法が使えるか。 様々な発想法があります。

いろいろ解決策を発想した後で、今度は絞り込み作業をします。 どういう解決策がいいかに正解はありません。 が、いい解決策を後だしじゃんけんで観察すると、必要条件や共通する特徴が見つかります。 広げた後、これらの観点を参考にして、解決策を絞ります。

いったん広げ、最もよさそうな解決策を決めたとします。 そこから、実際のユーザーでの検証の前に、解決策のイメージを具体的にする必要があります。 ストーリー化とビジュアル化というテクニックを使います。 これらは、検証を挟んでスパイラルに繰り返し、固めていきます。

5.2 アイデアを広げる方法

5.2.1 概観

発想法とは

解決をデザインするために、アイデアを広げるためのテクニックを見ていきます。 アイデアを広げる発想法には、いろんなテクニックがあります。 評価がしにくいので、体系的な整理というのが、やりにくい分野です。 ここでは、様々な知見として散らばっていることを、まとめ方の一案として提示します。

図: 枠外し

まず、発想法とは、今、持っている固定観念の枠外しです。

5.2.2 他者

他者を契機とする

最初のカテゴリーは、他者を契機とする手法です。

図: 他者に触れる

他人は、自分とは別の視点を持ちます。 それに触れることで、必ず新しい発見があります。 開発プロセスのところで見たように、自分と異質なものを取り込むことは重要です。 実は、これまでに課題の調査分析で見てきた手法は、すべて他者の視点を取り込むための手法でした。

図: 他者を契機とするテクニック

本を読んでほかの人の思想に触発されることも、他者を契機とする方法の一つです。

[Steven Johnson、2010]によると、ひらめきというのは、 人が単独で革新的なアイデアを得るのではなく、人のネットワークから得るものだそうです。 重要な飛躍的アイデアのほとんどは、研究室の顕微鏡を前に一人で思いつくのではなく、会議や雑談などから生まれていると。 GPSの発明が好例だそうです。

5.2.3 運動

運動する

第2の広げる方法は、運動です。

図: 運動

歩いているときに、アイデアがひらめいた、という経験はないでしょうか? シリコンバレーでは、散歩している人を良く見かけるそうです。 そればかりか、歩きながらの会議もよくあるそうです。

歩くことには、以下の効果があります。

  • 右脳が活発化する
  • 歩くことには注意する必要がないので意識が自由になる
  • スマート・フォーンなどの邪魔がなく集中できる

自分のペースでリラックスして歩くことが重要です。 室内でも、屋外でも、一人でも、複数人でしゃべりながらでも、いいそうです。

5.2.4 連想

連想

第3の広げる方法は、連想です。 連想とは、ある概念から、思いつくほかの概念を次々とつなげていくような発想です。

図: 連想

KJ法では、アイデアを並べるときに、人のアイデアを聞いて、思いついたことを追加します。 それは、他人のアイデアを契機とした連想の取り込みです。 また、階層化するときに、空間的な構造を俯瞰して、思いついたことを追加します。 それは、空間的発想を契機とした連想の取り込みです。

連想法の一種として、マンダラートを紹介します。今泉浩晃氏が、商標登録されています。

図: マンダラート

マンダラートは、3x3の9枠を置き、中央に書いたことから連想したことを8個の外枠に書きます。 それをさらに外の8個の箱の中央に転記します。 その8個それぞれで同じことを繰り返します。

メジャーリーガの大谷翔平選手が、高校1年生の時に、プロになるために作ったもので有名です。 とてもいい例なので、「マンダラート 大谷」で検索して、眺めてください。

マンダラートはツールなので、利用者の目的に沿って、どうとでも使えます。 「目標->目標を達成するための下位目標->各下位目標を達成するための下位目標の下位目標」としてもいいです。 「課題->解決手段->各解決手段を達成するための手段」と、解決手段の展開のために使うのもよし。 「課題->原因->各原因の原因」と、「なぜなぜ分析」のように使うのもよし。

また別の面白い連想テクニックを紹介します。 おもちゃメーカーのB社の企画担当の方は、しりとりをしながら、おもちゃとの関連性を考え、 新しいおもちゃを考案したそうです([高橋晋平、2013])。 目的としておもちゃの開発という強い制約がある場合に、その発想を広げる方法として、ランダムな要素を取り入れています。 いったん目標から離れ、ランダムに言葉をあげていくことで、さっき挙げた言葉と今出した言葉が勝手に結び付き始めるそうです。

5.2.5 図示

図示

第4の広げる方法は、図示です。

皆さんは、自動車の運転をしながら、助手席の人と話ができます。 箸をつかい食べながら、おしゃべりできます。 脳機能として、口・耳をつかさどる言語・音響系と、目・手などの空間・筋肉モーター系とは、比較的独立して働くといわれます。 それを応用します。

人がものを考えるときは、通常、言葉で行います。 それは、時間的に線形で限定されています。 そこに、空間的な情報を援用すると、脳機能を活性化するといわれます。 考えていることをスケッチするなどすれば、新しい発想につながります。

図: 図示

5.2.6 もみほぐし

もみほぐし

第5の広げる方法は、頭に刺激を与えるテクニック群です。 これに属する発想テクニックは沢山あります。 ここでは、頭を柔らかくするので、もみほぐしと総称しておきます。 以下の手法をご紹介します。

  • 時間ずらし
  • オズボーンのチェックリスト
  • なぜなぜ分析

5.2.6.1 時間ずらし

時間ずらし

まず、時間ずらしテクニックがあります。

図: 時間ずらし

一つは、未来の理想状態をイメージして、そこから、現在やることを導くテクニックです。 この手法は、バック・キャスティングといわれます。 未来の理想状態をゴールとして設定し、そこに至るまでのロードマップを書きます。 世界的な環境保護団体が提言を出したときに使ったことで有名です。

まず、課題に関して、20年後、どうありたいかの理想を描きます。 次に現状とのギャップを洗い出し、やるべきことをリストアップします。 最後に、やるべきことを、現在から20年後までの時間軸(10年後、3年後)にプロットします。 この手順で、未来の理想を意識して、今実行すべきことを導びきます。

現実の延長から離れた発想のヒントを得るには、生活総研の未来年表を見るといいです。

逆に、ある課題に関して、過去にさかのぼって振り返って、技術が放置してきた課題かどうかを振り返るテクニックもあります。

ある課題に関して、過去にさかのぼって10年前はどうだったかを考えます。 それで、昔とどう変わったかを振り返ります。 もしも昔から少しも変わってないとしたら、社会やIT技術が放置してきた課題ということです。 そうならば、解決策があれば、インパクトが大きいものになります。

これら時間ずらしの効果は、目先の流行を追うアプローチの対極にあります。 はやりを追うのでなく、長い時間軸上で考えることで、より根本的な発想ができます。 時間をずらすことは、現状の延長線上でものを考えることを打破する助けになります。

5.2.6.2 オズボーン

オズボーン

もみほぐしに分類できるテクニックに、オズボーンのチェックリストがあります (参考 [猪瀬記利(いのせ のりとし)、2018])。 発明家の間で、有名です。 頭に、ある解決策があるとします。 あるいは既存の解決策があるとします。 チェックリストを使って、それにいろいろ変形を施して新しい解決策を考案します。 それらの中には、全く新しい解決策があるかもしれません。

図: オズボーンのチェックリスト

種類 質問 事例
転用 新しい使い方はないか? ただの葉っぱを、弁当のつまものに変えた。 弱く使えない接着剤を、付箋紙に利用した。 空き部屋を、宿泊施設に変えた。 社内システムを、売り物にした。 手書き文字認識を、漢字検索に使った。
応用 他の分野のアイデアから転用できないか? 木材の粉塵吸引機の仕組みを、サイクロン掃除機にした。 地雷検出ロボットを、自動掃除機に使った。 符号図示技術とスキャナ技術を、バーコードにした。
変更 色、・・・を変えられないか? ・・・ お湯ポットを見守り機能にした。 家具を、組み立て式にした。 汚れが見えるように、耳かき綿棒を黒くした。 取っ手を二つつけて、幼児用カップにした。
拡大 大きくできないか? ... 印刷に厚みを持たせて、3Dプリンタにした。 コンビニを、24時間営業にした。 聞き放題、見放題のサブスクビジネス。 年間パスポート。
縮小 小さくできないか? … 飛行機運航を、食事なしにした。 カットだけの理髪店にした。 録音機能を削ってポータブル・ステレオ・プレーヤーにした。 組み立てずに家具を販売した。
代用 他のもので代用できないか? 豆乳。 宿泊施設の代わりに空き部屋。
置換 配置、…を入れ替えられないか? いきなりステーキの立ち食いスタイル。 植物性ミート。 ユーグレナの、栄養食品としてのミドリムシ。 持ち運び記憶媒体の代わりに、クラウドストレージ。
逆転 プラスマイナス、・・・を逆にできないか? 商品にならないがよいものを、商品。 発泡酒は、麦芽比率を3分の1以下にし、「ビール税」の適用を免れた。 リバーシブルな衣服。
結合 セットにできるものはないか? … 再生機能+ヘッドフォーン=ポータブル・ステレオ・プレーヤー。 ペン先がボールのペン+新聞紙印刷用の垂れないインク=ボールペン。 電話+デジカメ=携帯電話。 携帯電話+タッチ=スマート・フォーン。 漫画喫茶+インターネット=ネットカフェ。

表: オズボーンのチェックリストの事例

5.2.6.2 なぜなぜ分析

なぜなぜ分析

もみほぐしの3つめとしてなぜなぜ分析をご紹介します。

なぜなぜ分析では、5回の「なぜ」を自問自答します。

図: なぜなぜ分析

某有名自動車会社で、問題解決の手段として、要因解析に使われました。 そこの社内文書は、問題の現状把握、目標設定、なぜなぜ解析による要因掘り下げ、そして対策の定義、からなるそうです。

一つの発見から、従来思ってもいなかったような因果関係に到達するのに有効です。 この手法は、さまざまに応用できます。 例えば、目標の深堀に応用できます。 あることのために何をすればいいか? という自問自答を繰り返し、根っこの行動を発見するのです。 また、価値命題の先鋭化にも使えます。 それで何がうれしいの? という自問自答を繰り返すのです。

日記をつけるとき、人は、自分の心やものごとを振り返り、掘り下げて、整理します。 これは、なぜなぜ分析と似た効果があります。

5.2.7 無意識の利用

無意識の利用

第6の方法として、無意識の活動を利用する方法をご紹介します。

まず気分転換です。 スーザン・ワインシェンクさんというデザインの専門家が、心理学からの知見を紹介していました (参考 [スーザン・ワインチェンク、2012])。 あることに取り組んだあと、別のことをやることで、さっきの課題が解けた、ということがあります。 ニュートンが、落ちるリンゴを見て重力と結び付けたことが例です。 すでに頭にあることが、新しいつながりで結び付いた。 無意識での大脳活動のおかげだそうです。

さらには、無意識下の脳活動を、積極的に利用しようというアプローチがあります。

レム睡眠という「ちょっと寝」が、効果あるということが実験で示されています。 レム睡眠というのは、睡眠の初期に起きる状態です。 目が激しく動き、夢を見ていて、脳がエネルギーを覚醒時よりも消化しているのだそうです。 覚醒時に仕込んだことを、無意識の中で整理している時間だといわれています。 そういうレム睡眠の後だと、創造的な認知活動が活発になるそうです。 ちょっと寝を、積極的に取り入れている企業もあるそうです。

また、ぼんやりすることが有効だという考えもあります。 [Manoush Zomorodi、2017] では、 「退屈すれば脳はひらめく」というプロジェクトを実施しました。 それは、絶えず注意を惹くことを目標とするスマート・フォーンとそのアプリから遠ざかり、ぼんやりすることを実践します。 すると、創造性や幸福感が高まるそうです。 このぼんやり時間というのは、大脳のデフォルト・モード・ネットワーク活動とも言われます。 これは、意識的に何かをやっているのではないときの大脳の活動です。 そのときは、意識的活動時よりも、実に15倍も多くエネルギーを消費しているそうです。 情報(雑念)の整理整頓とこれからに備える(シミュレーション)脳活動が行われているらしいです。 レム睡眠と近いのかもしれません。 いずれも、神経の結合が激しく整理されている時間であるのは間違いないようです。

また、座禅、瞑想、マインドフルネスと言われる精神活動があります。 これらは、雑念を突き放して精神を統一します。 意識的な活動なので、デフォルト・モードやレム睡眠とは異なります。 それら活動後も創造力が高まるという研究があるそうです。

5.3 解決策を絞る

解決策のブレスト

定性調査の結果を集約するときに、KJ法を利用しました。 アイデアを広げたあと、アイデアをまとめるときも、KJ法が利用できます。

いい解決策の条件

解決策のアイデアをたくさん挙げたら、今度は絞り込みます。

いい解決策であるための必要条件があります。実行可能、社会的共有、得意分野、です。

  • 一つ目の条件は、実行可能であることです。 実行可能かどうかわからない夢は解決策を生み出す母体になりますが、それだけでは解決策になりません。 解決を実現するためには、具体的で実行可能な手段まで落とし込まなければいけません。 イノベーティブな解決策は、多くがローテクです。 また、多くが、既存の技術の組み合わせです。 具体的に実装のイメージや、開発してリリースするまでのロードマップのイメージが持てるかどうか。 それで、実行可能かどうかを判断できます。
  • 二つ目の解決策の条件は、当たり前ですが、社会的に共有できることです。 個人の行動提案は、個人の課題を解決するかもしれません。 しかし、それが個人的なものにとどまっている限り、社会的なインパクトは生まれません。 アプリ、サービス、ビジネスモデルなど、具体的な形態であることが必要です。 そうであれば、個人の枠を超えて、ターゲット顧客層や社会に貢献できます。 また、社会的に役立つことは、開発の動機になり、役立った時に達成感が得られます。
  • 三つ目の解決策の条件は、自分たちの得意分野であることです。 得意分野でなければ、どうしても、試行錯誤の無理無駄が大きくなります。 時間もかかります。 一方、得意分野であれば、いろいろ勘が働きます。 素早く学習できます。

いい解決策の特徴

いい解決策の中でも、インパクトの大きな解決策とはどういうものでしょうか? その特徴なら、いくつか挙げることができます。

  • その1は、ターゲットユーザーの欲望を満たすことです。欲望を持たせば、支持されます。
  • 第2の特徴は、前例がないことです。人を、アッと言わせるような解決策であれば、インパクトが大きくなります。
  • 第3の特徴は、あればいいでなく、ないと困るようなものです。ビタミン剤でなく、痛み止めであるような解決策であれば、人々に採用されます。
  • 第4の特徴は、代替策に比べて圧倒的に良い、ないし差別化できることです。 代替策ないし競合商品と比べて、それらにないユニークな価値を持てれば、訴求しやすくなります。 競合商品に比べて、10倍性能がよいものを出せ、とよく言われます。

インパクトの大きな解決策の特徴は、まとめると、欲望を満たす、前例がない、ないと困る、圧倒的に良い、です。 なお、このような観点で絞り込めば成功する、というものではないことに注意してください。 あくまで、検証仮説を選ぶときに、優先的に検証すべき仮説を絞るときに参考になるというだけです。 本質は仮説を立てて検証を繰り返すスパイラルにあります。

ポジショニング

課題の調査分析のところで、R-STPという考え方をご紹介しました。 解決デザインのフェーズでは、Pのポジショニングを行います ([フィリップ・コトラー、2000])。

図: R-STPのポジショニング

ポジショニングとは、商品でどういう価値を提供するかの位置づけをすることです。

なぜポジショニングが必要なのでしょうか?

ポジショニングは、競合ないし代替策に比べての優位点を明確にすることです。 それは、リリースに向けて、自分たちの解決策の強みを練り上げることを促します。 また、ラウンチ時、顧客に訴求する作業の準備となります。

優位な点を見つけます。 差別化するための観点は、さまざまです。

図: 差別化する点

これらから、自分たちの商品が最も差別化できる点を選びます。 例えば、S航空が、ビジネスマンに「すぐに移動できる」という価値を提供したように。

5.4 解決策を固める

5.4.1 概観

概観

解決策をイメージ固めするには、ストーリー化とビジュアル化と検証を、繰り返します。

図: ストーリー化、ビジュアル化、検証を繰り返す

ストーリー化には、シナリオとカスタマー・ジャーニーという手法があります。 ビジュアル化には、ストーリー・ボードやプロトタイプという手法があります。

5.4.2 シナリオ

シナリオ

シナリオは、『ターゲットユーザー(ペルソナ)を登場人物とし、 そのゴールと、現在の問題状況(Before)、解決された理想的な状況(After)を、 物語仕立て(ストーリー)で文章化したもの。』です。

ストーリー(物語)は、理解しやすく、記憶しやすい、という特徴があります。 例えば、歴史は、記憶するものとして捉えると苦痛ですが、物語として読むと印象に残ります。 また、年号も語呂合わせして、無意味な数字にちょっとした意味を与えて覚えやすくしますが、これも1種のストーリー化です。 ストーリーの特徴を生かし、価値命題をユーザーに説明して検証します。 また、価値命題をチーム・関係者と共有します。 さらに、それを顧客に伝えます。

シナリオはユーザーの物語なので、作り手の事情の入る実装方法や手段の詳細に関しては言及しません。 ユーザー視点に徹するため、ユーザーが関知しないことは登場させないのです。 そうやって解決策が何を解決するのかに集中します。

いかに解決するかの実装手段HOWは、いろいろな選択肢があります。 また、状況によって変わりえます。 そのため、実装手段を物語に入れてしまうと、すぐに使えなくなります。

ここで、ジェフリー・ムーアという人が書いた「キャズム」という本の中のシナリオのテンプレートをご紹介します (参考 [ジェフリー・ムーア、2002])。 ペルソナ、Before、Afterという3つの段落があります。

  • ペルソナ
  • Before:
    • 現状の課題
    • 望まれる結果
    • 現在仕方なしに取っている代替策
    • 現在の試みがうまくいっていない理由
    • うまくいかないためにどんな影響があるか
  • After:
    • 自分たちの提案する新しい解決策
    • 課題を解決できる理由
    • うまくいくことの影響や効果

同書のサンプルシナリオに手を加えて、掲載します。

ペルソナ
  • 実際に使う人:航空機材のメンテナンスエンジニア
  • 買う人:メンテナンス部門長、会社の経営陣
Before 現状の課題 航空機の計器盤のランプが点滅している原因を突き止めるために、メンテナンス作業員のアーニーが呼び出された。 乗組員の搭乗はすでに終わっており、問題が発生していなければ離陸体制に入っているはずだった。 計器盤を覗き込んだアーニーは、ランプの点滅がこれまでに修理した経験がないトラブルに起因するものであることに気づく。
望まれる結果 問題の原因が一刻も早く解明され、解決されて、航空機が離陸できるようになる。
試み(現在仕方なしに取っている代替策) アーニーはウォーリーに電話をして、点滅中のランプが説明されているマニュアルを調べさせる。 マニュアルは見つかったが、不幸なことに、そのマニュアルには直近の三つの改訂が反映されていなかった。 ウォーリーはやっとのことでその改訂内容を探しあてたが、 アーニーに電話で図表の内容を伝えるのは至難の技で、いたずらに事態を混乱させるだけであった。 仕方がないので、ウォーリーはマニュアルをアーニーの手もとに届けようとする。
阻害要因(現在の試みがうまくいっていない理由) マニュアルは、ボリュームが大きいために、持ち運びにくい。 印刷したマニュアルに改訂内容を正確かつタイムリーに反映するのは容易ではない。
経済的影響(うまくいかないためにどんな影響があるか) フライトはキャンセルされる。 問題を解決するためにメンテナンス・クルーが召集される。 その分、時間外勤務が増え、他のメンテナンス業務が遅れる。
After 新しい試み(自分たちの提案する解決策) アーニーは、あるものを取り出した。 そこには、該当モデル航空機に関するすべての資料が収められており、該当するランプを調べられる。 そこには最新の図表や説明内容が記載されている。 さらに、過去の類似の修理内容を調べられるようになっている。 アーニーは、問題点を即座に解明し、修理が施される。そして航空機は離陸体制に入る。
支援材料(課題を解決できる理由) タブレットにマニュアルを入れて、大量の資料を持ち歩ける。 その資料のコンテンツは、ネット経由で常に最新に維持される。 ナレッジベースの検索などを活用できる。 カメラで、センターに故障の減少を通信し、ほかのスタッフの支援を得られる。
経済効果(うまくいくことの影響、効果) 故障によるフライトのキャンセルや、遅延が減り、顧客の満足度が向上する。 修理担当者の作業効率向上に伴う費用削減。 マニュアルの印刷費用や内容の改訂に伴う費用を削減できる。

表: シナリオの例

5.4.3 カスタマー・ジャーニー

カスタマー・ジャーニー

カスタマー・ジャーニーは、 『あるペルソナが、あるゴールを達成しようとしたときに、時間軸に沿って経験することを旅程表のように記述したもの』 です。

  • 時間軸上に、フェーズを設けます。 フェーズは、商品・サービスを購入する前から購入後までの経験ステップを書きます。
  • それぞれのフェーズで、顧客と商品との接点、顧客の行動、思考、感情を記述します。
    • 商品との接点(タッチポイントと呼ぶ)は、時と場所、手段となるデバイス・メディアなどを含みます。
    • 行動は、ニーズを満たすためにどのような行動をとるか?
    • 思考は、行動の動機は? 何を期待しているか(ゴール)? 結果をどう評価しているか?
    • 感情は、感情がどう動くか?

具体例は、ネットを検索して見つけてください。

まず、シナリオとカスタマー・ジャーニーの違いについてみておきます。

  • シナリオは、ユーザー経験の解決局面に集中してストーリーを描きます。 集中することはいいことですが、逆にピンポイントに陥ってしまうリスクがあります。
  • カスタマー・ジャーニーは、視野を広く持ってストーリーを描くことが特徴です。 全体的に見渡してストーリーを練ることができるという利点があります。

カスタマー・ジャーニーは、二つの場面で利用できます。

  • 新しい経験の設計時に使う場合:
    きっかけから購買後まで、それぞれの時点で、新しいユーザー経験を設計・演出することに利用できます。
  • 既存の商品・サービスの改善に使う場合:
    きっかけから購買につなげる現状のユーザー体験の現状を描き、問題を発見することに利用できます。 企画、開発からサポートまで提供者のすべての部門機能にかかわります。 そのため、組織内の分担を明確化し、協調を図ることに使えます。

カスタマー・ジャーニーを作る手順です。

  1. まずペルソナとそのゴールをタイトルとして掲げます。
  2. 次にフェーズを見ていきます。

    図: フェーズ

    • 商品やサービスに関して、まず購入前の段階があります。
      • 購入前は、まず興味関心を持ちます。
      • 次に情報収集をします。
      • そして比較検討します。
    • 次に購入し利用するという段階があります。
      • 購入するというフェーズと
      • 利用するというフェーズがあります。
    • 最後に、購入後の段階があります。 そこでは、同じサービスをリピートしたり、口コミで評価を共有したりなどの活動があります。
    カスタマー・ジャーニーでは、商品サービスの特徴に応じて、適切なフェーズを設定します。
  3. 次にフェーズごとに見ていきます。 あるフェーズには、商品・サービスと、顧客との接点、タッチポイントがあります。 そのフェーズで顧客がどういう行動をとるかをイメージします。 その行動に即して、どういう場面で、どういうデバイスで、どういうソフトウェアで、などのタッチポイントが見つかります。

    図: タッチポイント

  4. 顧客の行動に即したタッチポイントで、顧客は何らかの思考をします。 思考には感情があります。 感情が、次の行動へとつながります。 このように、カスタマー・ジャーニーの中の行動、思考、感情は、連動するダイナミックなものの記述です。

    図: ユーザーの行動、思考、感情は連動する

    カスタマー・ジャーニーには、顧客がどう思うか、どう感じるかを、描いていきます。
  5. 感情は、不安になったか、盛り上がったかなどの起伏で表現します。 感情グラフといいます。 感情グラフを使うと、最初のフェーズから最後のフェーズまでの流れを通して、顧客の感情の波が想定できます。 これは、新開監督が、「君の名は」という映画で演出を検討するときに利用したそうです。
  6. 最後に、メモ書きを追加しておきます。未解決の課題があればそれを書き、検証の方法を書いたりします。

カスタマー・ジャーニーは、顧客の体験全体を設計・レビューできるので、強力です。 しかし、記述が細かいので、新しい経験の設計時でも、かなり詰めた段階向きです。 また、開発チームだけでなく他部門も関連した作業を行えば、組織間調整ができます。 既存の商品・サービスの改善のために使うと強力です。

5.4.3 ストーリー・ボード

ストーリー・ボード

解決策をイメージ固めするには、ストーリー化、ビジュアル化と検証を繰り返します。 ビジュアル化には、シナリオに相当する部分を紙芝居あるいは絵コンテにする ストーリー・ボードを作成します。

ストーリー・ボードで、ビジュアル化すると、図示することで、以下の効果があります。

  • 文章では気づかなかったことに気づく
  • 人に伝えるときのコミュニケーションが楽になる

ストーリー・ボードを作る手段は、さまざまです。

  • HTML
  • スライドショー
  • 手書きで入力できるアプリで手書き
  • 紙に漫画を手書き
使いやすい手段を選んでください。

ストーリー・ボードは、具体的に以下のように使えます。

  • シナリオで作ったストーリーを漫画のように描く。
  • ユーザーが体験するビジュアルな側面を、図示する。

以下に、あるシナリオのBefore/After状況を例示します。

図: Before

図: After

プロトタイプ

ストーリー・ボードで、解決策をビジュアライズしたら、それで、顧客の心に刺さる解決策になっているかの検証に入れます。

仮説検証のサイクルを回しながら、さらに、解決策を具体的なもの、明確なものにします。 WebアプリなどUIがあるものは、スケッチ(1枚の概略)、ワイヤフレーム(静的な骨格)、 モックアップ(静的だが忠実な表現)などを経て、 動的なインタラクションを部分的に実装したプロトタイプまで作ります。 造形が肝である場合は、3Dプリンタを使うと示しやすくなります。

5.5 第5章のまとめ

まとめ
  • 解決策の仮説を立てるときは、まず広げてから絞ります。 局所解に落ち込まないためです。
  • アイデアを広げるには、他者に触れる、運動する、連想する、図を使う、頭をもみほぐす、気分転換する、などの方法があります。
  • 頭をもみほぐすには、未来から考えたり、過去を振り返ったりの時間ずらしや、 オズボーンのチェックリスト、なぜなぜ分析などのテクニックがあります。
  • いい解決策を絞り込んだら、ストーリー化とビジュアル化で解決策を具体化して、検証します。
  • ストーリー化には、シナリオやカスタマー・ジャーニーという手法があります。 実装でなく、あくまでユーザー体験のデザインに集中します。
  • ビジュアル化には、ストーリー・ボードやプロトタイプという手法が使えます。 ストーリー・ボードというのは、紙芝居ないし絵コンテのことです。


第6章. 価値のデザイン


6.1 価値のデザインの概要

概要

価値のデザインでは、まず、評価のための最小なリリースをします。 そして、継続的なリリースを介して、構築、計測、学習を繰り返します。

図: 価値のデザインは構築、計測、学習の繰り返し

6.2 MVPから始める

MVP

価値デザインの出発点は、試してもらえるものをリリースすることです。 リリースには、資金と時間というコストがかかります。 最小限のコストで、顧客体験の価値を検証するための商品をMVPと呼びます。

図: MVP

MVPは、Minimum Viable (あるいはValue) Product の略で、最小価値商品という意味になります。

MVPのタイプ

MVPには、いくつかのタイプがあります。

  • コンシェルジェ型
  • 動画型
  • コミュニティ育成型
  • プロトタイプ型
事例を見ていくことで、MVPを把握していきます。

  • コンシェルジェ型MVPは、ほぼ手作業であるものです。 例えば、ランディングページだけがあって、ほかはすべて手作業でサービスを回します。 顧客の反応に応じて、少しずつシステム化していきます。

    コンシェルジェ型の事例として、とある靴のオンラインショップがありました。 顧客の課題は、近くの靴屋に行っても気に入る靴がなかなか見つからないことです。 解決策は、靴のオンラインショップです。 最初は、カタログと注文ページだけを作り、残りは社長が手作業でやったそうです。 このWebページの開発のみで、気に入った靴を注文できるという体験価値を実現・検証できました。

    ほかの事例として、共同購入型クーポンサイトがあります。 顧客の課題は、より安く商品を手に入れることです。 解決策は、希望者を募って大量に安く仕入れることです。 最初は、ブログで商品を紹介して、購入者を募りました。 そして、クーポンを手作業で印刷して配りました。 それだけで、安価に商品を手に入れる体験を実現しました。 そして、集団で購入するというビジネスモデルにニーズがあることを確認しました。

    もう一つの好例が、空き部屋マッチングサービスです。 当地でイベントがあり、ホテルがいっぱいで宿がとれない旅行客がいました。 自分たちのアパートの部屋の写真をWebに載せて、小遣い稼ぎをしようとしました。 反響が大きかったそうです。 これだけで、空き部屋を見つけられるという体験価値を検証しました。 そして、空き部屋と宿泊者をマッチングするというサービスに展開することになりました。

  • 別のタイプのMVPとして、まずデモ動画だけを作るというものがあります。

    クラウドストレージサービスを狙ったD社がありました。 当時、類似のサービスプロバイダーがすでにたくさんありました。 しかし、まだどこも普及していなかったそうです。 消費者は、使うのを不安視していました。 そこで、D社は、ファイルの同期や共有を示すフェークデモを公開して予約を募りました。 そしたところ、予約が殺到したそうです。 何ができるのかを具体的に示すことで、ニーズを検証し、ビジネスを起動できました。 同時に開発を完了するまでの時間稼ぎができたそうです。

  • 次のタイプのMVPは、特定の層のコミュニティを作り、並行してビジネスを作っていくようなアプローチです。

    とあるSNSは、近くにいてまだ知らない学友と実名でつながるという体験価値を、具体的にしました。 その体験価値は、当時、まだニーズとして顕在しておらず、潜在的でした。 サービスが出てはじめて、これが欲しかったのだ、というものでした。 その体験のために本質的な8つの機能だけでラウンチしたそうです。 そして、利用ユーザーのコミュニティを作り、その人たちの反応を見ながら機能を追加していきました。 コミュニティと機能を同時に成長させていったのです。

  • プロトタイプ型MVPは、試行錯誤しながら新しい体験価値を掘り出していくタイプです。

    とあるマイクロブログSNSは、最初は、社内向けのSMSとして開発したそうです。 社内で、使い込んで、改善を繰り返しました。 その後、社外に公開することで、不特定多数の人の間のメッセージ交換という体験価値を掘り当てました。

    とある写真共有SNSは、最初は、位置情報アプリとしてリリースしました。 が、人気が出なかったそうです。 試行錯誤の中で、写真の共有が最も人気があるということを発見しました。

    とあるグルメサイトは、最初は、グルメ本を単に手打ちしたものだったそうです。 フィードバックに基づいて、いいレストランを探すという体験価値を掘り当てました。 その後、評価スコアや口コミ機能を追加していきました。

MVPの本質

MVPは、開発を進める前に、小さく始めて、まず検証するためのものです

図: 小さく始める、進める前に検証する

小さく始めたら、顧客の反応を計測し、計測結果から学習します。 必要なら方針変更(ピボット)をやって、次のリリースを開発します。 この BUILD-MEASURE-LEARN のサイクルを回します。

この考え方を、リーン・スタートアップといいます。 リーン(Lean)とはそぎ落としたという意味、無駄肉がない、という意味です。 これは、日本語訳で「科学的な起業」と訳されることがあります。 科学的とは、客観的な検証に基づいて物事を進める、という趣旨でしょう。

小さく始めて、失敗をたくさん繰り返すことが、むしろ推奨されています。 昔から「失敗に学べ」と言われますが、それに通じます。

MVPをいかにデザインするのでしょうか?

  1. まず、シナリオ(顧客体験のストーリー)の中で、中核的な体験価値を決めます。 これはあくまで仮説です。
  2. 次に、その価値仮説を検証するために、最低限、何があれば顧客に試してもらえるかを決めます。 これがMVPです。
  3. MVPを開発する前に、MVPのユーザー体験をストーリー・ボードで具体的に視覚化します。 このMVPでストーリーが回るかどうか見直します。 場合によってはMVPを調整します。
  4. また、試してもらって、どういう結果が得られれば仮説が正しいと言えるかの成功規準を決めます。 さらに、問題があったときに、いかにそのデータを収集するかを決めます。

6.3 継続的にリリースする

継続的リリース

継続的リリースは、顧客のフィードバックに基づいて価値を具体化していく手法です。

まずMVPで、開発する前に価値を検証します。 そして、評価計測、学習・方針変更、開発・構築のサイクルを回します。

これを外から見ると、リリースを継続的に行っているように見えます。

図: 継続的リリース

構築フェーズ

継続的リリースの構築フェーズには、以下の手法があります。

  • アジャイル開発
  • KANBAN

アジャイル開発は、シナリオごとのスプリントを回します。

図: アジャイル開発のスクラム・スプリント

一つのスプリントは、スクラムという1から3週間ほどの開発タスクに分割します。 毎日チームミーティングを繰り返しながら、開発します。 スクラムを繰り返し、スプリントが完成します。 そしたら、デモ会をやって、OKならリリース、NGならタスクを調整してスプリントへ戻ります。 アジャイル開発は、従来型のウォーター・フォール開発モデルでないスパイラルな開発モデルです。

アジャイル開発には、スケジュールが軸になっています。 チーム構成も、かっちり決まっています。 それに対し、時間に縛られずに、チーム内リソースも柔軟に調整できるKANBAN手法というのがあります。 KANBAN手法は、「必要なものを、必要なときに、必要な量だけ造る。」という某自動車会社の生産方式に倣った開発手法です。

図: ジャストインタイム方式

KANBANでは、スケジュールに枠を設けずに、タスクの進捗状況をボードに掲載します。

図: KANBAN

進捗に応じて、タスクの優先順位やチームのリソースを調整しながら開発を進めます。

計測フェーズ

いったんリリースしてしまうと、定量的なデータが得られます。 MVP後の計測フェーズでは、定性・定量両方の調査方法が使えます。 定量調査手法として、以下を紹介します。

  • AARRR指標、ファンネル分析
  • 実験調査法、コホート分析

AARRR指標というのは、WEBサービスなどで用いられる指標です。 ユーザーの獲得、登録、継続利用、支払い、紹介、というユーザーが定着する一連のステップを追跡します。 各ステップでの脱落者数、維持率を見て、サービスの課題を把握します。

図: AARRR(海賊)指標

英語の頭文字をとると、AARRRとなり、海賊の叫び声みたいなので、海賊指標ともいわれます。 また、ユーザーが定着するまでの、ユーザー数の減り具合は漏斗(ファンネル)のような形になります。 このようなデータを分析し、各ステップの脱落者が少なくなるように改善します。

次に、実験調査法は、広い概念です。

図: 実験調査法、コホート(層別)分析

例えば、ABテストというテクニックがあります。 WEBページのデザインとして2つの案をランダムに提示します。 そして、よりユーザー獲得ができたほうを採用します。 これは、実験で調査する方法の一種です。

また、ある属性を共有する集団を、英語でコホートといいます。 例えば、ワクチンを接種した層と、プラセボを接種した層とで、ウイルスの罹患率を調べて、ワクチンの有効性を実証します。 それをコホート分析といいます。 サービスの場合、異なるコホートのAARRR指標を比べることで、機能や顧客層の特徴を実証できます。

6.4 製品戦略

多方面からのトレードオフ

ここまで、顧客の視点に基づくデザイン・テクニックを説明してきました。 実際の製品のデザインは、様々な局面で、多方面からのトレードオフを踏まえながらプライオリティ付けする、 複雑な決断作業となります。 以下などを考慮します。

  • 企業のビジョンやミッションがあり、その枠に沿うものを選びます。
  • 競合分析をした結果を踏まえます。
  • ユーザーの調査分析データに基づけます。
  • また実装コストを踏まえて投資対効果を考慮します。

リーン・スタートアップは、 この実装コストの部分とユーザーデータの部分に関し、小さく始めて構築・計測・学習のサイクルを回す、という提案をしました。

ビジョンやミッションは、一般的に扱うことはできません。

競合分析のテクニックを二つご紹介します。 まず、比較表がよく使われます。

図: 比較表

自分たちの製品と他社製品を競争要因で比較し、自分たちの製品がユニークな優位性を持っているかを見直します。

より戦略的に競合分析するテクニックに、SWOT分析があります。 SWOTのSは強みのStrength、Wは弱みのWeakness、Oは機会のOpportunity、Tは脅威のThreatの頭文字です。

図: SWOT

横に、内的な自分たちの、強みと弱みのカラムを設け、それぞれ思いついたことを整理して列挙します(自己分析)。 縦に、外的な機会と脅威の行を設け、それぞれ列挙します。 外的なとは競合他社や環境変化です(敵の分析)。 そして、強み、弱み、機会、脅威の項目を睨(にら)みながら、以下を検討し戦術を練り上げます。

  • 強みを使って機会を生かす戦術とは何か?
  • 機会を利用して弱みを克服する戦術は何か?
  • 強みを使って脅威を防ぐ方法は何か?
  • 脅威と弱みを克服する戦術は何か?

これは、中国の古典、孫子の兵法に出てくる、『敵を知り、己(おのれ)を知れば、百戦危うからず』に相当する分析作業です。 これは、企業の製品戦略のみならず、個人のキャリアを考えるときなど様々な状況で使えるテクニックです。

6.5 第6章のまとめ

まとめ
  • 最小限のコストで、顧客体験の価値を検証するための商品をMVPと呼びます。 MVPは、小さく始めて、まず検証するためのものです。
  • MVPから始めたら、 評価計測、学習・方針変更、開発・構築のサイクルを回します。
  • 構築フェーズでは、アジャイル開発やKANBANというテクニックがあります。
  • 計測フェーズでは、AARRR指標・ファンネル分析、実験調査法・コホート分析などの手法があります。
  • 実際の製品のデザインは、企業のビジョンやミッション、競合分析、ユーザーの調査分析データなどのトレードオフです。


第7章. 終わりに


7.1 まとめ

考え方

本書では、WHATを詰めるための様々なテクニックを見てきました。 その根底にある考え方を、ここで再度、振り返ります。

  • 目的(WHAT)と手段(HOW)を混同しないようにしましょう。 ドリルを買いに来た人が欲しいのは穴です。 目的を突き詰めましょう。
  • 顧客や人々が言語化できることは、現実の延長です。 言語化されていない顧客の本当の目的や課題まで掘り起こさなければなりません。
  • 自利利他を追及すると、人も自分も生きます。
  • 課題を見つけるときは、自分が意識しておらず、他人も意識していない未知の潜在領域を探しましょう。
  • アプリを開発するときは、使い手の視点を軸にした、スパイラルなプロセスでやりましょう。
  • 解決策の検討に先立って、課題の調査・分析をやりましょう。 そうすることで、使い手の視点に一貫して立ち、かつ新しい提案ができるようになります。

テクニック

本書で見てきた、WHATを詰めるための様々なテクニックを、振り返ります。

  • 定量調査の前に定性調査を行います。 定性調査の代表的な手法は、行動観察と、半構造化インタビューです。
  • アイデアをまとめるには、KJ法でマインドマップを作ります。
  • 課題を絞り込む際は、ターゲット顧客を絞り込みます。 代替策を押さえます。 ペルソナを書き、ターゲット顧客の属性を押さえます。 共感マップで、周囲の状況をまとめます。
  • 解決策を検討する際、様々な発想法を利用できます。 運動、連想、図、時間ずらし、オズボーンのチェックリスト、なぜなぜ分析、無意識の利用などです。
  • 解決策は、まず理想的なユーザー体験をストーリー化したシナリオにまとめます。 そしてそれをストーリー・ボードでビジュアル化し、検証を回します。
  • 解決策のコアな価値仮説を、実際の顧客に検証してもらうために、 最低限必要なものを、MVPとして定義し、リリースを開始します。
  • MVP後、計測・学習・構築のサイクルを回して、フィードバックに応じて継続的にリリースします。

7.2 変化を起こす

失われた30年

日本のIT技術は、世界に比べて遅れています。 それは、コロナ渦で政府系アプリが惨敗してITの遅れが露呈する前から、現れていました。 日本の産業のこのところの衰退は、「失われた30年」と呼ばれています。 世界の輸出シェアで、1990年頃を境に、日本は縮小を始めたのです。 GDPも成長をやめました。 そのころちょうど、情報処理で様々な用途に活用できるPCが、普及を始めました。 日本はディジタル革命という世界の変化についていけなかったのです。

なぜでしょうか? 筆者は、原因が、日本の組織文化と教育慣習に根ざしていると考えます。

変化に弱い組織文化

まず、日本の組織は変化に弱いです。

東洋的な集団主義と縦社会という組織文化が残っているのでしょうか、 ムラこそが大事なので、終身雇用です。 人員固定のため、業務効率化の動機がありません。 また、組織内部は縦割りです。 部分で局所最適化し、それで業務を固定します。 そのため変化のリスクをとりません。

産業に、伝統的な中小企業が多いことも、変化しにくい要因でしょう。

ITのニーズがあっても、業務も人員も変えないため、外注で済ませます。 日本でのシステム化とは、ITを知らない人が指定したものを、言われた通り作ることです。 当然、定常システムに向いたウォーター・フォール・プロセスでの開発が多くなります。

また、行政組織などには、年度ごとに予算を消化するという「年度縛り」があります。 今ある業務を前提に、年度内に作っておしまいとなります。 時代の変化に応じて、継続的にスパイラルに改良するには向きません。

ITは、そもそも、全く新しい価値を生み出したり、現状を変えて効率化したりするときに、力を発揮します。 しかし、日本の組織には、ITで変えるという考えが生まれにくいのです。

HOWを偏重する教育慣習

一方、教育は、読み書きそろばん、プログラミングと、HOWを偏重します。

これは、既存の枠組みの問題設定が既にあるところで、秀才と職人を育成するのに向いています。 それが、明治維新後の西洋近代技術の吸収、および太平洋戦争後の急激な復興・成長に効果がありました。 日本の教育は、すでに見習うべき枠組みがあるときに強みを発揮するのです。

それは、出る杭は打たれ、同調圧力が暗に働くような、集団主義に向いています。 日本は、時々DNAの攪拌(かくはん)があっても、島国でほどほどの人口規模なため、長く同質集団を維持・熟成できました。 既存の問題設定内で、同質集団の中で、最適化が上手な秀才と職人を育てるのに向いた風土だったといえます。

これは逆に言うと、日本の教育は、変化を引き起こしたり異質な能力を包摂したりするのに向いていないといえます。

そして、上記のような日本の組織文化と教育の傾向は、相互に他方を強めあっていると思われます。

モノづくりの成功体験の副効果

均質集団の中でHOWに長けた日本の秀才と職人は、 1990年頃までの高度成長期、モノづくりで成功体験を持ちました。 日本人は、改善することが得意です。 技術者が、自分たちの了見で作りたいハードウェアを作って成功し、そして尊敬されました。 技術者の誇りでした。 ところが、その副効果として、ソフトウェアを軽視しました。 また、使い手観点やユーザー体験価値も、後付けとされました。

一方、米国などIT先進国では、同じころ、ハードウェアを活用するソフトウェアを進化させていました。 オペレーティング・システム、データベース、プログラミング言語、インターネットなどを次々と生み出していました。 またソフトウェア工学も、発展させていました。 ここらあたりの技術要素までは、日本は後追いのコピーでなんとかついていけました。

そして、ディジタル革命。 ITの波及効果として、ソフトウェアの付加価値の大きいビジネスが、次々と展開し始まります。 どの机にもPC、ペーパーレスな業務アプリ、マニュアルなしで使えるアプリ、 どこでもスマート・フォーン、クラウド、WEBサービス、ロングテイル、人工知能など。 欧米が、どんどん先に行きます。

日本は、追随できなくなりました。 日本のオフィスは、紙ばかりのまま。 電話、FAX、ハンコ、プリンタ・コピー機。 日本のソフトウェア開発は、ウォーター・フォールばかり。 日本のアプリは、ユーザビリティ・テストしないので、使いにくい。

海外がどんどん変化する中で、日本では過去の成功体験が、ディジタル革命という変化に対応することの邪魔をしました。 ただ、成功体験が邪魔をするという問題は、世代が変われば消失していきます。 しかし、ソフトウェアの軽視は、日本社会全体に30年の遅れをもたらしました。

青少年への期待

これからITを担う青年たちに期待します。

どう実装するかという技術やHOWの前に、 利用者にとって何が価値になるのかというWHATから考えください。 現状をディジタル化するだけ、言われたように作るだけでは、日本は変わりません。

使い手という、自分とは異質なものとの対話を、開発の軸においてください。 開発者が、利用者という異質な視点をデザインに取り込む参加型デザインこそ、 変化に向かう技術者のやり方です。

ITという道具をWHATから考えて利用し、利用者視点に立ってあるべき状態を模索し、 社会を変革してください。



参考文献


参考
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  • [Steven Johnson、2010] 良いアイデアはどこで生まれる?、Steven Johnson、2010、 https://www.ted.com/talks/steven_johnson_where_good_ideas_come_from/details/transcript?language=ja&subtitle=en
  • [Manoush Zomorodi、2017] 退屈な時に優れたアイデアが思いつく仕組み、Manoush Zomorodi、2017、 https://www.ted.com/talks/manoush_zomorodi_how_boredom_can_lead_to_your_most_brilliant_ideas/transcript?language=ja


著者紹介


佐藤 良治 (さとう よしはる)

1956年、山形県生まれ。東京大学文学部卒業、哲学専攻。 DECで、プログラマーやエンジニアリング・マネージャー、 (株)AI言語研究所で研究員など。 マイクロソフトで、自然言語処理製品のプログラム・マネージャーとして、機能設計とプロジェクト管理。 その後、独立。 著書『操作から会話へ』。